2008/01/16

地獄の門の前で口にする言い訳

以前こちらのブログで触れましたが、昨年、私は『やりなおし教養講座』(NTT出版)を読みました。著者は国際基督教大学教養学部教授の村上 陽一郎先生です。この中でダンテの『神曲』の「地獄篇」について触れられている部分があるのですが、私はなるほどと思いました。

私たちの多くは悪いことをしたら地獄に落ちると考えます。しかし、『神曲』の冒頭部分には思わぬ人も地獄に落ちると書いてあるのです。それは〈悪さをしなくても、善のためにも悪のためにも働かなかった人〉。日本人的な表現で言えば現世において何もしなかった人、平々凡々と暮らしていると地獄に落ちるのだそうです。これはあくまで『神曲』での話ですが、意外とそうなのかなと思える部分もあります。

「何もしない」の「何」をどう定義付けるかで解釈は異なると思います。例えば、結婚をして家族のために尽くせば、それはすでに何かをすることに該当しているような気もします。基準は難しいものがありますが、恐らく社会や組織、他人のために何か行動を起こさないことはある意味、罪なのかとも思いました。村上先生は次のように言います。
〈私なりの言い方をすると、いかに自己実現に励まなかったかということだと言っていいかもしれない。自分の自己を築き上げることに怠惰であったというのは悪人よりも下というか、下に扱われるという。〉
役割論者の私としては、そのように何もしない人たちにも存在意義があるというのが信条なのです。が、何もしないことで地獄に落ちてしまうのは仕方のないことだとも思います。

書籍にしろ、日常で使う製品にしろ、全くゼロから生じたものはないと言っていいです。売れている本でも、切り口は新しいがメッセージは以前からあったというものがほとんどです。弊社の社史を見ても、今までたいていのことは誰かが行っています。

死んだあと、地獄の門の前に立ってしばらく考えます。
「私は生きている間、何をしたのかなぁ?」と。「何」の基準を全く新しいものを生み出すことだと定義すると、私をはじめ多くの人は「私はこれをしましたよ」と答えられるものは何もないような気もします。この本を通して、私は自分を省み、何をやっているのかを考える良い機会を得ることができました。(岩崎 卓也)
posted by ダイヤモンド社 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 記事
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地獄の門の前で口にする言い訳
Excerpt: HBRブログのエントリ2008/01/16を読んで思う。無為に時間を浪費するのは、失敗を重ねるより悪い。失敗の中で学ぶものはむしろ成功よりも多い??.
Weblog: たけさいと
Tracked: 2008-01-29 01:32