2007/12/26

海外での布施の心

前回の記事で布施の話をしました。もちろん、同様の考え方は海外にもあります。
以前、曽野綾子さんがおっしゃっていたことを思い出します。キリスト教では宗派にもよりますが、全てのものは神が与えたものだという考え方をします。日々の食事も仕事も富も全てです。それは人間にとって都合の良いものだけでなく、例えば身体の障害なども含むのです。障害は神から与えられたもの、決してネガティブなものではないという考え方をするそうです。

健常者が障害者の支えになることは、日本的にいうと徳の高い行為とでもいいましょうか。クリスチャンにとっては、積極的に行いたい「喜び」なのです。
曽野さんがブラジルの教会に立ち寄ったとき、子供が捨てられているのを目にしたそうです。その頃、教会には親が育てられずやむなく捨てられてしまった子供が集まっていました。その子供を養子にしたいと願う方に、養育をお願いするシステムができているのです。

曽野さんが訪れたとき、教会には障害者の子供が残されていました。日本ですと、障害があるから、誰も引き取り手がいなくて残されたのだと思うことでしょう。ところが違うのです。その子供は引っ張りだこで、誰にお願いしたらよいのか、決まらないから残されていたといいます。日本の布施の心とはやや違う部分もありますが、それぞれ国によって仕える心はあるものだと改めて知らされました。

話は変わりますが、
「私は植林のメンテナンスで草刈に行った事があります」
このように話すと、意外な顔をされることがあります。以前から、私はCSR、環境問題等について調べてきました。その一環として、90年代にはさまざまなボランティアに参加したことがあるのです。樹林の中にはメンテナンスをしないと枯れてしまうものがあります。枝葉が生い茂って、日が当たらないといった不具合が出るそうです。とはいえ、枝打ちは素人にはできません。我々ができることとして草刈をしたのです。
「ビールが美味いよ!」
と事前に言われておりましたが、確かにその通りでした。ドラム缶風呂に入るなど、みなで楽しみながら行いました。そのほか、身体障害者をディズニーランドに連れて行ったこともあります。ただし、人には向き不向きがあります。私には編集者として皆様にお伝えしていくことのほうが向いていると、そのとき思いました。

以前にも書きましたが、社会に貢献する形はそれぞれ人によって、企業によって異なってもいいと私は思うのです。自分ができることをひとつずつ行っていくのが良いと私は思っています。(岩崎 卓也)
posted by ダイヤモンド社 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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