日本には布施(ふせ)というものがあります。仏事の際の僧に対する謝礼を表す言葉として私達は使うことが多いのですが、正確に言うと3つに分類されます。「財施(ざいせ)」といって金銭や衣服、食料を人に施すことがひとつ。ふたつ目は「法施(ほうせ)」といって、仏の教えを説くことです。そして、三番目は「無畏施(むいせ)」といって、人の厄難を救うこと、悩んでいる人が不安や恐怖を取り除くことができるようにすることです。このほか、地位や財産がない人でも簡単にできる「無財の七施」と言うものがあります。詳細は10日に発売する1月号の「FROM the EDITORS」に書きましたが、布施とは見返りを求めない心のことを指すのです。
ある僧侶の話を聞いたことがあります。その僧侶は道を歩いていると、貧しそうな身なりをしている男性がうずくまっているのを見かけました。季節は冬、とても寒そうです。僧侶はその人に袈裟(けさ)をかけてあげました。
ところが、相手の男性は何も言わずにうずくまったままです。
「温かくなりましたか?」
僧侶は声をかけました。その直後、激しく訊いたことを悔やみました。なぜなら、僧侶は男性が温かくなったかどうかを知りたかったのではなく、「ありがとう」という言葉が返ってくるのを期待していた。自分の未熟さに気づいて後悔したのです。この僧侶は自身が行ったことは、見返りを求めた時点で「無畏施(むいせ)」ではなくなっていたことに気づいたのです。
話は変わりますが、ドラッカーの『非営利組織の経営』には、NPOに所属している人は経済合理性のためにだけに働いているのではない。社会に貢献しているという実感と、そこに自分が貢献している自信がもとになっているのだと書かれています。NPOだけでなく、社会機関である企業も同様なことがいえるでしょう。布施の心と同じように、事業と関係なくても、必要なところには手を差し伸べてあげてもいいじゃないですか。見返りを求めるとか、企業のイメージ向上を念頭に置かなくても、普通に人間として、そして社会の一員として助け合う。それで良いと私は思います。
次号の特集「公器の経営」に『競争優位のCSR戦略』(マイケル・ポーター、 マーク・R・クラマー)という論文を掲載しました。こちらはCSRを企業と社会双方がメリットを享受できる活動として展開することの大切さについて触れています。企業は社会と競争力、その両方に益するイノベーションをもたらすべきと説いているわけです。これから先もこの論文のように、経済合理性の中でCSRを語ることはあることだと思います。
『競争優位のCSR戦略』の具体的な内容の紹介は次回このブログで行うつもりでいます。ただ、その前提には日本でいう布施の心があることを伝えたい、と思い今回紹介しました。(岩崎 卓也)
2007/12/05
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