2007/08/22

お父さんのひざの上に座る意味

7月、元文化庁長官の河合隼雄先生が亡くなられました。私は何冊かご著書を拝読いたしましたが、教育に関する記述で印象に残ったものがあります。先生がおっしゃるには、子供が育つ上で子供を取り囲む環境には二種類あるといい、それは父性的なものと母性的なものだというのです。

かつての日本社会における家父長制の中で、「お父さん」は家の真ん中に腰をおろしていました。家には親戚やご近所、そして御用聞きなどが自由に出入りしていたものです。子供がお父さんのひざの上に座る姿はどの家庭でも珍しいことではなく、子供は父親がする大人たちの会話を耳にしていたものです。この時代の子供はさまざまな情報が入ってくるきわめてオープンなシステムの中で育ったわけです。他方、母親はクローズドシステム、守ってあげる愛で子供を抱え込むわけです。当時、両者のバランスはほどよくとれていました。

このような状況下、昭和の中くらいから日本の学校教育は知識偏重になっていきます。今振り返ると、それは間違いだったとは思えません。貧しい国から輸出立国に変わっていく上で必要なことだったのです。その反動でゆとり教育という別の方向に転換したわけですけれども。河合先生の書かれたものを読んでいていると、今の日本の教育で必要なことは父性と母性の二種類のバランスをはかるということなのではないか、と感じました。オープンシステム一方だけが強いと、世の中の風説を浴びる、ストレス耐性といった面で強くなる可能性はあります。その分、寛容性がなくなってしまうのです。

団塊ジュニア以降は母性が強くなっていきました。背景にあったものは核家族化と共働きということだと思います。だから都市部で顕著に出ているのです。親とふれあう時間が少なくなっているから、親は必要以上にわが子をかわいがってしまうケースも見られます。父性と母性のバランスはどの程度がベストかはわかりませんが、従来バランスしていたものと、今とでは明らかに違いがあります。母性の方に重きがあって、父性というのはなくなりつつあるといえます。

朝、8時過ぎに近所を歩いていると、「お子様のお通りです」みたいな様子で子供は学校に向かいます。横断歩道では用心棒のように、保護者や祖父母が立っているわけじゃないですか。要人が来たのか、というくらい子供を厚く保護しているわけです。外に出ることですら、このように慈しまれているわけですね。学校でも、家でも保護されて、これでいいのか保護しすぎなのではないか、と思うときがあります。

私が子供の頃、『放任主義』(羽仁進著)がベストセラーになりました。私は小学校のとき読んだ記憶があるのです。恐らく私の親が読んでいたのでしょう。どう考えても、この「放任主義」からは、今の家庭教育は遠くなっています。過保護な親、行き過ぎた世話焼き、この現状を見て、父性と母性のバランスが崩れているに違いないことを肌で感じました。(岩崎 卓也)
posted by ダイヤモンド社 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※半角英数字のみのコメントは書き込みができないようになっています。

この記事へのTrackBack URL

※半角英数字のみのトラックバックは受信されないようになっています。