2007/08/01

村社会とすり合わせ型製品開発

私が若い頃、「三無主義」ということばがよく使われていました。無気力・無関心・無責任の3つの「無」の世代だという批判を若者が受けている時代があったのです。いつのときでも批判される対象は存在します。そのなかには、時代を経て評価が変わっていくものがあることも事実です。

従来からあるもので、今見直すべきものに、私は「村」があると思っています。村というコミュニティをもう一度見直してもいいのではないか、と私は思うときがあるのです。村社会はよろしくない、とする批判はあります。たしかに、村は排他的で一定の価値観が固定されていて、そこから発展しないという欠点があるのです。
でも、最近は必ずしも悪いところばかりではない、という気持ちになっています。まず、村社会のほうが長期的な思考になります。村というコミュニティはずっと続いていくわけですから。さらには、みんなで分け合おう、という気持ちが大変強いのが村の特徴です。
もちろん、村から出て都会で働きたいという人を批判してはいけません。出たいときはいつでも自由に出て行けるという自由な環境であることがひとつの前提としてあります。

インテグラルな製品、(以前こちらのブログで紹介したすり合わせ型の製品)を作るのならば、村という概念を再考したほうがいいのではないでしょうか。村は必要に応じて離合集散します。これはまさにプロジェクトというかたちをとって、村の組織を維持するのにあった考え方です。火災が生じたならば、それが自分の家から多少離れていても、村の人は現場に向かってバケツリレーで水を運ぶのです。このような点からも、リスクに対して強い側面を持っているといえます。

他方、モジュール型製品は都市型のほうが適しているのかも知れませんね。分業は取引コストを抑えるので、コストダウンにつながります。個人化が進むのはいたし方がないことですね。このような方式が向いているのは金融業でしょう。
すり合わせ型製品の開発は、資本主義でありながら社会主義である村社会で行われることに向いています。従って、今「村」というコミュニティの持つ良さをもう一度確かめるときではないかと思った次第です。(岩崎 卓也)
posted by ダイヤモンド社 at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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