先日、関東財務局はテラメントという会社に対して、大量保有報告書について訂正報告書の提出を命ずる行政処分を行いました。
ことの発端はテラメント株式会社が提出した大量保有報告書にあります。この会社はトヨタ自動車やNTTなどの企業の株券等を取得、保有割合が51%になったと報告しました。もちろん、大手企業の株式を大量に取得した事実はありません。
現在、有価証券報告書、有価証券届出書等の開示書類はその提出から公衆縦覧等に至るまでの一連の手続が電子化されています。“EDINET(エディネット)”というシステムが構築されており、こちらを利用できるようになっています。
私は今回の報道で危惧される点がいくつかあると思います。EDINETはIDとパスワード取得さえすれば、誰でも提出が可能になっているのですが、この点について「信頼できない情報でも瞬時にネット上に流れ出てしまう同システムの盲点が浮き彫りになった」、といった報道を目にしました。確かにそのような部分もあるでしょう。でも、EDINET等、財務諸表の電子化には大きなメリットもあるのですが、私が読んだ記事では触れられていませんでした。
財務諸表などのビジネスレポートを電子化するための言語にXBRLというものがあります。財務諸表等作成の効率化が図れるのが特徴のひとつです。また、比較、分析などができるので、XBRL導入により世界中の投資家が日本の株をより買いやすくなるわけです。今、世界ではXBRLを使ったファイナンシャルレポーティングの分野のグローバルスタンダードが模索されています。
そもそも、日本はグローバルスタンダードを制定していく上でとかく乗り遅れがちな国だといえます。国際標準規格についてイニシアチブを取れないでいる国だといっていいでしょう。国際会計基準の統一についてもそうです。ところが、このXBRLは日、米、欧主導のもとに進められています。すでに、日本では国税庁のe-Taxで導入済みですから、今後も少しずつ広がっていくでしょう。XBRLが進むことを前提に各国で議論されているにもかかわらず、ネガティブな面ばかりが前面に出るような報道は結果的に日本にとってマイナスになるような気がします。
XBRLが後退してしまうとなると、日、米、欧の主導から日本が抜けてしまう可能性も出てくるわけですね。私はSEC(アメリカ合衆国証券取引委員会)やEUにイニシアチブを取られることを危惧するわけです。そうなったら、これは明らかに国益に反することだと私は思います。(岩崎 卓也)
2008/01/30
2008/01/26
企画会議に出したいもの
先日、今年組んでみたい特集って何ですか? という質問を受けました。
最近、私はロボットと人間の脳に興味があります。両者は意外と関連している部分があるのです。ただ、脳科学は良いとしてもロボットが「ハーバード・ビジネス・レビュー」の特集としてふさわしいのかどうか考えてしまう部分もあります。
ロボットというと、漫画に出てくるような人型のものを頭に浮かべる方が多いと思います。が、私が感心を持っているのはそれだけでなく、産業機械についても感心があります。高度成長期の人手が足りない時代、製造ラインの人力に代わるものとして産業機械は生まれました。この時代をスタートとして、FMS(フレキシブル生産システム)の構築が盛んに行われている現代まで、産業機械の歴史を紐解いてみたいですね。さらには、今の新しいロボットの市場を知りたいとも思っています。
三菱重工をはじめとして、産業機械を作っている企業はたくさんあります。一方で、産業機械から派生していくと、AIや認知などの脳の問題にかかわってくるのです。
神経科学は社会科学の諸分野と関連を持ちはじめていて、neuro economics(神経経済学)という分野も出てきています。また、すでに電通がneuro marketing(ニューロマーケティング)という言葉を使っています。今後、脳と企業活動はますます関係が深くなっていくように思います。ただし、こちらを特集するとなると、事例がないのが難点です。
以前、企画会議に出したものに「月」、宇宙ビジネスがあります。結局は編集部員に却下されてしまいました。夢のある物語や童話、漫画などでリーダーシップを語るのは良いアイデアだと思います。
『15少年漂流記』などの物語性のあるものをもとに、チームマネジメントやリーダーシップなどに結び付けて特集を組みたいという気もします。
アイデアはいろいろあるので、これらを形にして皆様に有益な誌面をお届けできればと思っています。(岩崎 卓也)
最近、私はロボットと人間の脳に興味があります。両者は意外と関連している部分があるのです。ただ、脳科学は良いとしてもロボットが「ハーバード・ビジネス・レビュー」の特集としてふさわしいのかどうか考えてしまう部分もあります。
ロボットというと、漫画に出てくるような人型のものを頭に浮かべる方が多いと思います。が、私が感心を持っているのはそれだけでなく、産業機械についても感心があります。高度成長期の人手が足りない時代、製造ラインの人力に代わるものとして産業機械は生まれました。この時代をスタートとして、FMS(フレキシブル生産システム)の構築が盛んに行われている現代まで、産業機械の歴史を紐解いてみたいですね。さらには、今の新しいロボットの市場を知りたいとも思っています。
三菱重工をはじめとして、産業機械を作っている企業はたくさんあります。一方で、産業機械から派生していくと、AIや認知などの脳の問題にかかわってくるのです。
神経科学は社会科学の諸分野と関連を持ちはじめていて、neuro economics(神経経済学)という分野も出てきています。また、すでに電通がneuro marketing(ニューロマーケティング)という言葉を使っています。今後、脳と企業活動はますます関係が深くなっていくように思います。ただし、こちらを特集するとなると、事例がないのが難点です。
以前、企画会議に出したものに「月」、宇宙ビジネスがあります。結局は編集部員に却下されてしまいました。夢のある物語や童話、漫画などでリーダーシップを語るのは良いアイデアだと思います。
『15少年漂流記』などの物語性のあるものをもとに、チームマネジメントやリーダーシップなどに結び付けて特集を組みたいという気もします。
アイデアはいろいろあるので、これらを形にして皆様に有益な誌面をお届けできればと思っています。(岩崎 卓也)
2008/01/23
耳にする機会が減った言葉
最近、「お客さま」という言葉を耳にすることが減ったように思いますが、いかがでしょうか。「お客さま主義」は充分浸透したので話題にならなくなったというわけではないでしょう。まわりを見渡しても、「お客さま主義」に関して飛びぬけていると感じさせる企業はあまりありません。お客さまという言葉が出てこないのはなぜなのでしょう。
「DHBR」2006年7月号では、ドイツを特集しました。そのとき、ドイツの新聞に「株主価値」という言葉がいくつ出てくるのか数えたという話がありました。日本でも「株主価値」といった言葉が多く登場するようになり、ある意味、企業は株主のものになったと感じることが増えました。ここ10年、株主という言葉が増えるのに反比例するかのように、お客さまという言葉が減っているように思います。もちろん、松下電器の商品回収などにみられるように、手厚く顧客対応をしている企業もあります。また、以前と比べてコンプライアンスの問題から、顧客にきちんと対応しなければならないという認識が高まった部分もあるでしょう。
時代の流れでしょうか。「顧客目線が……」といった言葉をあまり口にしなくなったように思えます。書籍にしても、「お客様主義」をテーマにしたものは、そんなに売れていかない傾向があります。以前ならば「顧客価値」といったことをテーマにすれば、ある程度部数が出ていました。今はそうではないのです。ここに私はなんともいえない不安感や寂しさを感じずにはいられません。
不況になると、お客様という言葉がよく出る、という方もいます。景気先行きについては日銀をはじめ、さまざまな予測が出されています。が、現在のところ、利益を出し、経営が安泰している企業は多くあります。このような状況下、株主は業績について文句は言わないが、お客さまは非常に不満を抱いている、といったケースが実は多いのではないでしょうか。ここで、また、不況になったら、「お客さま」のほうに目が向き、企業は盛んに「お客さま」という言葉を口にするようになるのでしょうか。「お客さま」という言葉が増えるのは良いのですが、それはそれでどうかという気もしています。(岩崎 卓也)
「DHBR」2006年7月号では、ドイツを特集しました。そのとき、ドイツの新聞に「株主価値」という言葉がいくつ出てくるのか数えたという話がありました。日本でも「株主価値」といった言葉が多く登場するようになり、ある意味、企業は株主のものになったと感じることが増えました。ここ10年、株主という言葉が増えるのに反比例するかのように、お客さまという言葉が減っているように思います。もちろん、松下電器の商品回収などにみられるように、手厚く顧客対応をしている企業もあります。また、以前と比べてコンプライアンスの問題から、顧客にきちんと対応しなければならないという認識が高まった部分もあるでしょう。
時代の流れでしょうか。「顧客目線が……」といった言葉をあまり口にしなくなったように思えます。書籍にしても、「お客様主義」をテーマにしたものは、そんなに売れていかない傾向があります。以前ならば「顧客価値」といったことをテーマにすれば、ある程度部数が出ていました。今はそうではないのです。ここに私はなんともいえない不安感や寂しさを感じずにはいられません。
不況になると、お客様という言葉がよく出る、という方もいます。景気先行きについては日銀をはじめ、さまざまな予測が出されています。が、現在のところ、利益を出し、経営が安泰している企業は多くあります。このような状況下、株主は業績について文句は言わないが、お客さまは非常に不満を抱いている、といったケースが実は多いのではないでしょうか。ここで、また、不況になったら、「お客さま」のほうに目が向き、企業は盛んに「お客さま」という言葉を口にするようになるのでしょうか。「お客さま」という言葉が増えるのは良いのですが、それはそれでどうかという気もしています。(岩崎 卓也)
2008/01/19
Y理論からZ理論へ
先日、こちらのブログで今月号に掲載されている「Y理論は万能ではない」という論稿を紹介しました。この論稿ではタイトルどおり、Y理論が万能ではないことを述べておりますが、実はX理論、Y理論のほかにZ理論というものも存在します。開発に取組んだのは、「欲求五段階説」で知られているマズローです。彼はマグレガーに私淑していました。そこで、彼はX理論による安全確保と方向付けの要因を取り入れた改良版Y理論を提唱しました。
X理論、Y理論を提唱したマグレガー自身も、晩年にはX理論とY理論には矛盾点があるという批判に応え、Z理論というものを開発し始めました。しかし、志半ばで他界してしまうのです。詳細は今号に掲載されている「Y理論は万能ではない」という論稿の中のコラム、「X理論からZ理論へ」に記載されているので、ご興味のある方は手に取ってみてください。
1970年代後半からアメリカで、なぜ日本はこんなに強のか、という疑問が強まりました。日本的経営が熱心に研究され始めたのもこの頃です。その中には、スタンフォード大学のウィリアム・G・オオウチという教授がいました。彼は70年代後半、日本的経営の成功を解き明かそうとして研究を進めてきました。結果、新生Z理論を導き出し、『セオリーZ』という論文を上梓したのです。
研究の過程で彼は、
日本企業には規律がしっかりとあること、
その一方で権限委譲もしている、
終身雇用制度がしっかりとできあがっている。
日本企業のこのような点に着目しました。
オオウチ氏は日本経営の特徴として、「終身雇用」「コンセンサス重視」「集団責任制」などをあげています。日本経営はX理論と、Y理論の両方の良いところを集めたものなのではないか、といったことをオオウチ氏が明らかにしていくのです。
『セオリーZ』はCBS・ソニー出版から発刊されており、私が手にしたもののオビには盛田昭夫さんが絶賛、といったことが書いてありました。(岩崎 卓也)
X理論、Y理論を提唱したマグレガー自身も、晩年にはX理論とY理論には矛盾点があるという批判に応え、Z理論というものを開発し始めました。しかし、志半ばで他界してしまうのです。詳細は今号に掲載されている「Y理論は万能ではない」という論稿の中のコラム、「X理論からZ理論へ」に記載されているので、ご興味のある方は手に取ってみてください。
1970年代後半からアメリカで、なぜ日本はこんなに強のか、という疑問が強まりました。日本的経営が熱心に研究され始めたのもこの頃です。その中には、スタンフォード大学のウィリアム・G・オオウチという教授がいました。彼は70年代後半、日本的経営の成功を解き明かそうとして研究を進めてきました。結果、新生Z理論を導き出し、『セオリーZ』という論文を上梓したのです。
研究の過程で彼は、
日本企業には規律がしっかりとあること、
その一方で権限委譲もしている、
終身雇用制度がしっかりとできあがっている。
日本企業のこのような点に着目しました。
オオウチ氏は日本経営の特徴として、「終身雇用」「コンセンサス重視」「集団責任制」などをあげています。日本経営はX理論と、Y理論の両方の良いところを集めたものなのではないか、といったことをオオウチ氏が明らかにしていくのです。
『セオリーZ』はCBS・ソニー出版から発刊されており、私が手にしたもののオビには盛田昭夫さんが絶賛、といったことが書いてありました。(岩崎 卓也)
2008/01/16
地獄の門の前で口にする言い訳
以前こちらのブログで触れましたが、昨年、私は『やりなおし教養講座』(NTT出版)を読みました。著者は国際基督教大学教養学部教授の村上 陽一郎先生です。この中でダンテの『神曲』の「地獄篇」について触れられている部分があるのですが、私はなるほどと思いました。
私たちの多くは悪いことをしたら地獄に落ちると考えます。しかし、『神曲』の冒頭部分には思わぬ人も地獄に落ちると書いてあるのです。それは〈悪さをしなくても、善のためにも悪のためにも働かなかった人〉。日本人的な表現で言えば現世において何もしなかった人、平々凡々と暮らしていると地獄に落ちるのだそうです。これはあくまで『神曲』での話ですが、意外とそうなのかなと思える部分もあります。
「何もしない」の「何」をどう定義付けるかで解釈は異なると思います。例えば、結婚をして家族のために尽くせば、それはすでに何かをすることに該当しているような気もします。基準は難しいものがありますが、恐らく社会や組織、他人のために何か行動を起こさないことはある意味、罪なのかとも思いました。村上先生は次のように言います。
〈私なりの言い方をすると、いかに自己実現に励まなかったかということだと言っていいかもしれない。自分の自己を築き上げることに怠惰であったというのは悪人よりも下というか、下に扱われるという。〉
役割論者の私としては、そのように何もしない人たちにも存在意義があるというのが信条なのです。が、何もしないことで地獄に落ちてしまうのは仕方のないことだとも思います。
書籍にしろ、日常で使う製品にしろ、全くゼロから生じたものはないと言っていいです。売れている本でも、切り口は新しいがメッセージは以前からあったというものがほとんどです。弊社の社史を見ても、今までたいていのことは誰かが行っています。
死んだあと、地獄の門の前に立ってしばらく考えます。
「私は生きている間、何をしたのかなぁ?」と。「何」の基準を全く新しいものを生み出すことだと定義すると、私をはじめ多くの人は「私はこれをしましたよ」と答えられるものは何もないような気もします。この本を通して、私は自分を省み、何をやっているのかを考える良い機会を得ることができました。(岩崎 卓也)
私たちの多くは悪いことをしたら地獄に落ちると考えます。しかし、『神曲』の冒頭部分には思わぬ人も地獄に落ちると書いてあるのです。それは〈悪さをしなくても、善のためにも悪のためにも働かなかった人〉。日本人的な表現で言えば現世において何もしなかった人、平々凡々と暮らしていると地獄に落ちるのだそうです。これはあくまで『神曲』での話ですが、意外とそうなのかなと思える部分もあります。
「何もしない」の「何」をどう定義付けるかで解釈は異なると思います。例えば、結婚をして家族のために尽くせば、それはすでに何かをすることに該当しているような気もします。基準は難しいものがありますが、恐らく社会や組織、他人のために何か行動を起こさないことはある意味、罪なのかとも思いました。村上先生は次のように言います。
〈私なりの言い方をすると、いかに自己実現に励まなかったかということだと言っていいかもしれない。自分の自己を築き上げることに怠惰であったというのは悪人よりも下というか、下に扱われるという。〉
役割論者の私としては、そのように何もしない人たちにも存在意義があるというのが信条なのです。が、何もしないことで地獄に落ちてしまうのは仕方のないことだとも思います。
書籍にしろ、日常で使う製品にしろ、全くゼロから生じたものはないと言っていいです。売れている本でも、切り口は新しいがメッセージは以前からあったというものがほとんどです。弊社の社史を見ても、今までたいていのことは誰かが行っています。
死んだあと、地獄の門の前に立ってしばらく考えます。
「私は生きている間、何をしたのかなぁ?」と。「何」の基準を全く新しいものを生み出すことだと定義すると、私をはじめ多くの人は「私はこれをしましたよ」と答えられるものは何もないような気もします。この本を通して、私は自分を省み、何をやっているのかを考える良い機会を得ることができました。(岩崎 卓也)
2008/01/12
リーダーには師匠がいる
今月号に掲載した論稿に「マネジャーとリーダー:その似て非なる役割」というものがあります。マネジャーとリーダーの役割は似ていますが異なるのです。執筆したのはアブラハム・ザレズニック氏です。精神分析家で、ハーバード・ビジネススクールの教授として有名でもあります。この論文はマネジャーとリーダーの違いについて述べられています。
論文の中で確かにそうだなと思ったのは、師匠の存在がリーダーにとって重要であるという点です。
〈自分がやりたいことを見つけられるかどうかは(中略)師にめぐり合えるかどうかにかかっている〉と。ここでいう師は自らも才能を開花させており、親代わりになって面倒を見てくれるような人でなければなりません。
アメリカ合衆国の第34代大統領 アイゼンハワーの話が紹介されています。第一次世界大戦直後、彼はパナマへ志願します。理由はかねてから私淑していた先輩将校 コーナー氏がいたからです。この人の下についたことで、それまではさしたる戦歴にも恵まれなかったアイゼンハワーは頭角をあらわしたのです。すぐれた才能の持ち主が学生時代平凡だったということはよくあります。アインシュタインも凡人だったし、カーネギーもいい師匠にめぐりあえたおかげで伸びたのだといいます。
私にも何人か師匠と呼べる人はいます。その中の1人は社史を作っていた人でした。社外の方です。ずんぶん前のことですが、一行でも気に入らなかったら、納得いくまで文を変える人だったのです。とことんやるので、納期には遅れるし、予算もオーバーしてしまいます。でも、出来上がったものは完璧でまさにアートワークに近いと言っていいほどなのです。賞をもらうこともありました。納期や予算については見習ってはいけませんが、本を作りあげていくというところで学ばせてもらいました。
別の方で翻訳の原稿整理がすごく上手な人がいました。一度、私が訳したものを見てもらったことがあります。もとの文の痕跡がなくなるくらい、書き加えていくのです。
「その言葉は原文にはないですよ」
私がそう言うとその人は答えました。
「この日本語でわかるのかね?」
確かに私はわかっていませんでした。言い返せません。私の書いた原稿は鉛筆で直され、最後はグレーで覆われてしまいました。
メンター制度を導入している企業は多くあります。確かに、相談相手としてのメンターはいたほうが良いと思います。でも、単なる先輩というだけでは充分ではありません。社内のメンターのほかに、社外にメンターを作ることも大切なのでしょう。外にいる人のほうが距離が開いている分、良い関係を持続させやすいのです。メンターにはある意味、アイドルをあがめているのと同じ要素が必要なのかもしれません。ともあれ、私が二人の先輩から受けたものははかりしれないくらい大きなものであることは確かです。(岩崎 卓也)
----------------------------------------------------*
※「DHBR」2008年2月号は一冊からお求めになれます。
http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=059690208
論文の中で確かにそうだなと思ったのは、師匠の存在がリーダーにとって重要であるという点です。
〈自分がやりたいことを見つけられるかどうかは(中略)師にめぐり合えるかどうかにかかっている〉と。ここでいう師は自らも才能を開花させており、親代わりになって面倒を見てくれるような人でなければなりません。
アメリカ合衆国の第34代大統領 アイゼンハワーの話が紹介されています。第一次世界大戦直後、彼はパナマへ志願します。理由はかねてから私淑していた先輩将校 コーナー氏がいたからです。この人の下についたことで、それまではさしたる戦歴にも恵まれなかったアイゼンハワーは頭角をあらわしたのです。すぐれた才能の持ち主が学生時代平凡だったということはよくあります。アインシュタインも凡人だったし、カーネギーもいい師匠にめぐりあえたおかげで伸びたのだといいます。
私にも何人か師匠と呼べる人はいます。その中の1人は社史を作っていた人でした。社外の方です。ずんぶん前のことですが、一行でも気に入らなかったら、納得いくまで文を変える人だったのです。とことんやるので、納期には遅れるし、予算もオーバーしてしまいます。でも、出来上がったものは完璧でまさにアートワークに近いと言っていいほどなのです。賞をもらうこともありました。納期や予算については見習ってはいけませんが、本を作りあげていくというところで学ばせてもらいました。
別の方で翻訳の原稿整理がすごく上手な人がいました。一度、私が訳したものを見てもらったことがあります。もとの文の痕跡がなくなるくらい、書き加えていくのです。
「その言葉は原文にはないですよ」
私がそう言うとその人は答えました。
「この日本語でわかるのかね?」
確かに私はわかっていませんでした。言い返せません。私の書いた原稿は鉛筆で直され、最後はグレーで覆われてしまいました。
メンター制度を導入している企業は多くあります。確かに、相談相手としてのメンターはいたほうが良いと思います。でも、単なる先輩というだけでは充分ではありません。社内のメンターのほかに、社外にメンターを作ることも大切なのでしょう。外にいる人のほうが距離が開いている分、良い関係を持続させやすいのです。メンターにはある意味、アイドルをあがめているのと同じ要素が必要なのかもしれません。ともあれ、私が二人の先輩から受けたものははかりしれないくらい大きなものであることは確かです。(岩崎 卓也)
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※「DHBR」2008年2月号は一冊からお求めになれます。
http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=059690208
2008/01/09
リーダーシップ論から学ぶ権力の使い方
「DHBR」2008年2月号の特集は「リーダーシップ:経営力の本質」です。今月号に掲載した「権力と影響力」の執筆者はジョン・P・コッター氏(ハーバード・ビジネススクール 名誉教授)です。彼はアメリカのリーダーシップ研究のオーソリティで、弊社刊行の『カモメになったペンギン』の著者でもあります。
1990年には『パワーと影響力』(弊社刊)が刊行されています。この本の中でコッター氏は“power” (パワー)という単語を使います。これまで、日本では“power” はそのまま「パワー」と訳していました。が、もともとここでいうパワーというのは権力を意味します。
2月号の「「権力と影響力」ではよりわかりやすくするため「権力」という訳をつけました。
権力という言葉は企ての匂いがしますし、人を力で動かそうとするような灰色なイメージも漂います。でも、本来、権力というものはそうではないのです。この論稿では人を動かすには権限委譲が大事だということが書かれています。より正確にいうと、優れたリーダーは権限をどのように行使するのかがこの論稿で述べられているのです。
さらにタイトルに「影響力」とついている通り、どうすれば効果的な影響力を発揮しうるか、という観点から権限の行使について述べられている点も特徴的です。権力というのは職位といった形で組織から公式に与えられたものです。以前にもこのブログで書きましたが、与えられたからといって、すぐに全てを使ってはいけません。周囲からその権限を行使することを許されて初めて使えるのです。
コッター氏の論稿を読んで思い出したのが、2007年8月号「製品開発力のプロフェッショナル」で掲載した「プロダクト・インテグリティすり合わせの製品開発力」(藤本隆宏 東京大学大学院 経済学研究科 教授 他)です。この論稿には「重量級プロダクト・マネジャー(Heavy weight product manager)」が登場します。これはトヨタの話なのですが、重量級プロダクト・マネジャーは通常の範囲から逸脱して動く場合もあるのです。
営業、トレーニング研修セクション、現場、サプライヤーなどに対して、意見を言います。そういう意味で、彼は文字通りヘビィ・ウエイトなのですね。まさしくトヨタの自動車開発の最終責任者というのは、周囲に権限を行使することを認められ行使していると思ったのです。
これにはトヨタの社風もかかわっていると思います。一般的に、ある部門の責任者が他部門の人たちに頭ごなしに指示命令をし、場合によっては叱責を与えるなんていうことはありえないことです。でも、私はもしかすると、そういうことが大事なのではないかと思いました。なぜなら、組織では職位や職種、年次といったもので権限がある程度規定されています。それを杓子定規に使い、守っているという組織の現実があります。そのほうが居心地はいいのかも知れません。
ただ、それぞれの権限は染み出るかのように逸脱しあうくらいのほうが場合によってはいいこともあるのではないでしょうか。権力の行使に当たっては職位ではなく、その人の実力に応じて、その人の関係各位から認められればもっと行使しても良い場合があるのではないかと思います。もちろん、内部統制等を考慮する必要も出てきますし、単純に誰でもが行使するというのではありません。ただ、部門間同士、クロスファンクショナルにしようと言っている割には、権限が固まっているので進まないケースを目にすることがあります。「重量級プロダクト・マネジャー」の例から、権限は会社からあたえられるものではなく、自分からとりつけてくるものなのかなと思いました。(岩崎 卓也)
------------------------------------------------*
※「DHBR」 2008年2月号の発売は1月10日(木)です。
※バックナンバーはこちらでお求めになれます。
2007年8月号「製品開発力のプロフェッショナル」
「プロダクト・インテグリティすり合わせの製品開発力」
「ブルー・オーシャン戦略の方法論」など掲載
http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=059690807
1990年には『パワーと影響力』(弊社刊)が刊行されています。この本の中でコッター氏は“power” (パワー)という単語を使います。これまで、日本では“power” はそのまま「パワー」と訳していました。が、もともとここでいうパワーというのは権力を意味します。
2月号の「「権力と影響力」ではよりわかりやすくするため「権力」という訳をつけました。
権力という言葉は企ての匂いがしますし、人を力で動かそうとするような灰色なイメージも漂います。でも、本来、権力というものはそうではないのです。この論稿では人を動かすには権限委譲が大事だということが書かれています。より正確にいうと、優れたリーダーは権限をどのように行使するのかがこの論稿で述べられているのです。
さらにタイトルに「影響力」とついている通り、どうすれば効果的な影響力を発揮しうるか、という観点から権限の行使について述べられている点も特徴的です。権力というのは職位といった形で組織から公式に与えられたものです。以前にもこのブログで書きましたが、与えられたからといって、すぐに全てを使ってはいけません。周囲からその権限を行使することを許されて初めて使えるのです。
コッター氏の論稿を読んで思い出したのが、2007年8月号「製品開発力のプロフェッショナル」で掲載した「プロダクト・インテグリティすり合わせの製品開発力」(藤本隆宏 東京大学大学院 経済学研究科 教授 他)です。この論稿には「重量級プロダクト・マネジャー(Heavy weight product manager)」が登場します。これはトヨタの話なのですが、重量級プロダクト・マネジャーは通常の範囲から逸脱して動く場合もあるのです。
営業、トレーニング研修セクション、現場、サプライヤーなどに対して、意見を言います。そういう意味で、彼は文字通りヘビィ・ウエイトなのですね。まさしくトヨタの自動車開発の最終責任者というのは、周囲に権限を行使することを認められ行使していると思ったのです。
これにはトヨタの社風もかかわっていると思います。一般的に、ある部門の責任者が他部門の人たちに頭ごなしに指示命令をし、場合によっては叱責を与えるなんていうことはありえないことです。でも、私はもしかすると、そういうことが大事なのではないかと思いました。なぜなら、組織では職位や職種、年次といったもので権限がある程度規定されています。それを杓子定規に使い、守っているという組織の現実があります。そのほうが居心地はいいのかも知れません。
ただ、それぞれの権限は染み出るかのように逸脱しあうくらいのほうが場合によってはいいこともあるのではないでしょうか。権力の行使に当たっては職位ではなく、その人の実力に応じて、その人の関係各位から認められればもっと行使しても良い場合があるのではないかと思います。もちろん、内部統制等を考慮する必要も出てきますし、単純に誰でもが行使するというのではありません。ただ、部門間同士、クロスファンクショナルにしようと言っている割には、権限が固まっているので進まないケースを目にすることがあります。「重量級プロダクト・マネジャー」の例から、権限は会社からあたえられるものではなく、自分からとりつけてくるものなのかなと思いました。(岩崎 卓也)
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※「DHBR」 2008年2月号の発売は1月10日(木)です。
※バックナンバーはこちらでお求めになれます。
2007年8月号「製品開発力のプロフェッショナル」
「プロダクト・インテグリティすり合わせの製品開発力」
「ブルー・オーシャン戦略の方法論」など掲載
http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=059690807
2008/01/05
プルラリストであるべき理由
前回、こちらのブログで成果主義はX理論、Y理論と同様に有効な職種とそうでないものがあると書きました。X理論が向いているのはお客様の接点となる職種です。営業職が典型的な例です。
Y理論は自由な発想で新しいアイデアを出し合い、作り上げていく職種に向いています。何でもかんでも好きなことが言える職場で、そしてその中でコンフリクトが起こるかもしれないが、組織にとって新しいバリューを生み出すことが大切な仕事の場合はY理論が良いと思います。
成果主義も同じだと思います。営業に成果主義がなかったら、おかしいわけです。他方、間接部門はどうなのでしょう。まずは成果をはかることから難しいものがあります。フィギュアスケートの芸術点と同じように採点すれば良いという考えもありますが、実現は困難です。つまるところ、成果主義やY理論が悪いのではなくて、その一律の人事制度を当てはめようとする点に問題があるのかもしれませんね。
もちろん、一律といっても完全に一つの基準で評価している企業はほとんどないでしょう。私が申し上げたいことは、人事制度にセグメンテーションの導入をすることの必要性です。多くの企業ではお客様をセグメンテーションし、それぞれ対応を変えているわけです。そうであるならば、社員をセグメンテーションし、それに応じて動機付けの方法と制度を変えるべきではないでしょうか。
従業員が1万人いるグローバル企業なら、国によって報酬が異なる、といったことはすでに行っていることでしょう。ここでいうセグメンテーションというのは地域だけではなく、職種に応じて、なおかつ職位、年齢など、もうちょっと細かく見るべきなのだ、ということです。違う言い方をするなら、効率化のために一律化を図ってきた制度に対して、よりきめ細かいものにしたら良いのではないでしょうか。
先にお伝えしたとおり、次号の特集はリーダーシップです。掲載した論稿については、こちらのブログで紹介していく予定です。「Y理論は万能ではない」もその中の一つの論文ですが、この論文を読んで感じたことは、問題の一つは「一律化」にあるのではないかということです。価値観が一元的ですと多くの問題を生じます。次号の「FROM the EDITORS」にも書きましたが、現実はプルラリズム、多元主義なのです。それはダイバーシティということではなく、さまざまなものに同じ価値があるという意味でのプルラリズムを指します。次号に掲載するそれぞれの論文を通して、一元的にとらえることの問題の深さや多元主義である現実を改めて考えました。そして、今回の特集を通して最も強く感じたことは、私達はプルラリストになるべきである、ということなのです。(岩崎 卓也)
Y理論は自由な発想で新しいアイデアを出し合い、作り上げていく職種に向いています。何でもかんでも好きなことが言える職場で、そしてその中でコンフリクトが起こるかもしれないが、組織にとって新しいバリューを生み出すことが大切な仕事の場合はY理論が良いと思います。
成果主義も同じだと思います。営業に成果主義がなかったら、おかしいわけです。他方、間接部門はどうなのでしょう。まずは成果をはかることから難しいものがあります。フィギュアスケートの芸術点と同じように採点すれば良いという考えもありますが、実現は困難です。つまるところ、成果主義やY理論が悪いのではなくて、その一律の人事制度を当てはめようとする点に問題があるのかもしれませんね。
もちろん、一律といっても完全に一つの基準で評価している企業はほとんどないでしょう。私が申し上げたいことは、人事制度にセグメンテーションの導入をすることの必要性です。多くの企業ではお客様をセグメンテーションし、それぞれ対応を変えているわけです。そうであるならば、社員をセグメンテーションし、それに応じて動機付けの方法と制度を変えるべきではないでしょうか。
従業員が1万人いるグローバル企業なら、国によって報酬が異なる、といったことはすでに行っていることでしょう。ここでいうセグメンテーションというのは地域だけではなく、職種に応じて、なおかつ職位、年齢など、もうちょっと細かく見るべきなのだ、ということです。違う言い方をするなら、効率化のために一律化を図ってきた制度に対して、よりきめ細かいものにしたら良いのではないでしょうか。
先にお伝えしたとおり、次号の特集はリーダーシップです。掲載した論稿については、こちらのブログで紹介していく予定です。「Y理論は万能ではない」もその中の一つの論文ですが、この論文を読んで感じたことは、問題の一つは「一律化」にあるのではないかということです。価値観が一元的ですと多くの問題を生じます。次号の「FROM the EDITORS」にも書きましたが、現実はプルラリズム、多元主義なのです。それはダイバーシティということではなく、さまざまなものに同じ価値があるという意味でのプルラリズムを指します。次号に掲載するそれぞれの論文を通して、一元的にとらえることの問題の深さや多元主義である現実を改めて考えました。そして、今回の特集を通して最も強く感じたことは、私達はプルラリストになるべきである、ということなのです。(岩崎 卓也)
