2007/03/31

21世紀で競争を左右するもの

次号の特集は『「クリエイティブ資本主義」の時代』です。20世紀に盛んに行われたコスト削減や効率化を行うだけでは、21世紀となった現代、競争に勝てない時代となりました。もちろん、ポーターのポジションだけでも勝てません。では、21世紀の今、何がポイントとなっていくのでしょうか。
その答えのひとつとして提唱するのが次号の特集、「クリエイティブ資本主義」です。2002年、『The Rise of the Creative Class』という書籍が発行され、アメリカでベストセラーとなりました。著者はリチャード・フロリダ教授で、「ハーバード・ビジネス・レビュー」にも載りました。今回の特集はフロリダのメッセージが特集の基本となっています。

フロリダのいう“the Creative Class”とはどのようなものなのか。直訳すると創造的階級となり、日本語として何のことだかさっぱりわからなくなってしまいます。今回の特集では、クリエイティブ・クラスとは「ナレッジワーカーの中の本当に価値を創造する人たち」と定義しました。さんざん定義を迷いましたがこれが一番わかりやすいという結論に達したのです。
ただし、ナレッジワーカー自体、定義が存在ません。そもそも、ナレッジ・ワーカーというのは60年代、ドラッカーが言い出した言葉です。当時、世の中は肉体的な工業の時代で、設備や天然資源、土地といったものが競争の源泉であり、資本主義を支えていました。そのようななか、ドラッカーは人間の頭脳こそ、これからの資本主義を支えていくものですよ、と言ったわけです。市場経済の発達の過程で、同じものを生み出す企業が出てきたとき、その差別化をするのは天然資源でも工場でもなく、人間の創造力。これがドラッカーの言うナレッジなのです。

これが70年代、80年代になって、野中郁次郎氏が言うように豊かなナレッジを生み出す人たち、これをナレッジ・ワーカーだというようになりました。企業の特性を左右しているものは、その組織が秘めている知識の質の水準である。これにより競争力に差がつくというものです。

ところが、その後、リエンジニアリングという概念が誤解されてしまい、ホワイトカラー=ナレッジワーカーとなってしまいました。クリエイティブ・クラスとは「ナレッジワーカーの中の本当に価値を創造する人たち」です。ですから、必ずしもホワイトカラー=ナレッジワーカーではないのです。

今回の特集でいうクリエイティブ・クラスは、コンサルティングファームで働いていた人、MBAを持っている人などのプロフェッショナルだけではありません。アーティスト、デザイナーなど、より感覚面で優れている人も含めているのです。
これから時代のキーとなっていく人たちは、イノベーションを生み出す力がある人たちです。それがクリエイティブ・クラスです。この階級に属する人たちは、アメリカの20世紀の基準で秀でた人たちだけではないのです。これがフロリダのメッセージで、今回の特集の基本となっていることです。(岩崎 卓也)
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2007/03/27

ふたつの職業

先月、マックス・ヴェーバー(Max Weber)の勉強会に出席いたしました。1919年、Weberは「職業としての政治」という講義を行いました。今回のテキストとして使用されたのはそのときの講義録です。

Weberはふたつの言葉を対比させて語ります。ひとつはプロフェッション(profession)、もうひとつはヴォケーション(vocation)です。辞書をひくと、両者とも「職業」となっていますが、大きな違いがあるのです。プロフェッションのほうは体系化された知識にもとづいて行う職業を指します。従事している人がリーダーかどうかでいえばリーダーではありません。
他方、ヴォケーションに従事する人は志を持ったリーダーを意味します。プロフェッションがこう“あるべきこと”に従事するのに対して、ヴォケーションは“こうありたいと思うこと”に従事すること。このようにWeberは言います。
ヴォケーションに従事するリーダーは感情にうったえる点も特徴的です。勉強会での結論は、小泉純一郎の職業はプロフェッションではなくてヴォケーションだということです。スピーチには感情的な言葉が多く出ます。彼は「ぶっ壊す」といった言葉を使い、ロジカルシンキングのような理論にもとづいた説明については前面に出しません。とはいえ、我々からすれば「ヴォケーションとしてのリーダーシップなんて無理だ」。このような結論もひとつとしてあるでしょう。

「リーダーシップの形容詞を5つあげなさい」
勉強会ではこのような質問が出席者に出されました。これに対して、出席者からは「論理的」「合理的」「頭がよい」といった言葉は一つも出てきませんでした。私たちは合理的なものを求め、進んできました。しかし、ここに来て合理的なものに対する反動が来ているように感じます。もはや、合理的な経営を進め全世界から注目された経営者をあがめている時代ではないのかもしれません。私はこの勉強会に出て、リーダーの要件を再考すべき時期にあると感じました。(岩崎 卓也)
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2007/03/23

『ムハマド・ユヌス自伝』に涙

執筆者や編集者の多くは雑誌や書籍を作っていく過程で多くの本を読みます。今回もたくさんの本を読みました。『ムハマド・ユヌス自伝』は関連書籍として読んだ一冊です。ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したのが2006年。こちらはその8年も前の1998年に早川書房から発行された本です。

読んでいて涙が出ました。バングラディシュは実に貧しい国なのです。ワーキングプアなどといったレベルではなく、食べるものがなくて死んでしまう人がいるくらいの状態だったのです。
他方、ユヌス氏のような上流階級の人間もいます。彼はアメリカに留学して経済学理論を学び、バングラディシュが独立したことにあわせて帰国するのです。
当時、ユヌス氏は大志に燃えていました。しかし、貧困に苦しみ、飢え死にしていく人たちを目にしながら、経済理論が微塵も役に立たないことに打ちのめされていくのです。

ユヌス氏はバングラディシュで暮らしている人たちを訪ねてまわります。そこで、貧困層の人たちが搾取されている実態を知ります。とくに、ものをつくったり、直したりする手作業は女性が行っています。彼女たちにわずかなお金を貸すだけで搾取から逃れられ、生活が改善されるはずだと気づくのです。

しかし、当時のバングラディシュの銀行はたとえ富裕層でも女性にはお金を貸さないことになっていました。そこで、ユヌス氏は自分が保証人となって、保証人がお金を借り、女性に貸してあげればよいのではないか、そのように考えました。
「全て、保証人は私がなる」
自分が保証人となって、貧しい人にお金を貸そうとするユヌス氏に対して、志を阻む理由はリストができるくらいたくさん次から次へと出てきます。しかし、彼はあきらめることはありませんでした。ダメな理由を乗り越え、ついに彼はグラミン銀行を作るのです。現代の日本には幸いにして貧困はないので、グラミン銀行の実際はあまり知られていません。ですから、なおさらこの本で紹介されるユヌス氏の行いに感動させられるのです。

全部で358ものページがありますが、すぐに読み終わりました。非常に考えさせられる良い本です。世の中にはリスクを冒してまでも、貧しい人のために手を差しのべる人がいるのですね。彼の自伝は私にとって、大きな糧となりました。ユヌス氏はノーベル平和賞に値する人だと改めて感じるとともに、日本に呼びたい、と強く願う気持ちが湧いてまいりました。(岩崎 卓也)
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2007/03/20

これからの経営のコンセプトになるものは

「フロネシスの知:美徳と実践の知識創造論」は、野中郁次郎氏と紺野 登氏のベストコンビで臨んでいただいた論文です。
〈日本企業のイノベーション力の停滞〉〈なぜイノベーションが生まれてこないのか〉という点、さらに〈ロジカル・シンキングには解はない〉
これらの問題提起については大前氏と共通しますが、そこから先の部分は異なります。

本論文ではこれからの経営に求められるものは「徳」だといいます。今の時代、企業には個人や集団の意志や志を具現化させる新たな卓越性(エクセレンス)が求められているのだと。卓越性というのは「美徳」(virtue)を実践していることを意味して、具体的には次の3つを持ったリーダーを指します。

ひとつは社会倫理的な徳を持ったリーダー。もうひとつは審美性への理解があるリーダーそして、知的力量のあるリーダーです。一般的に知的力量という言葉からは頭の良さのようなものを想像されると思いますが、実は違う意味を持っています。知的力量はvirtu(ヴィルトゥ)といい、ある種の志の強さのようなものをあらわす言葉なのです。論文の中では、これら3つを詳細に解説しています。

このような美徳の経営を属人的に終わらせずに実現させる知とは何でしょうか。その答えをこの論文では「フロネシス」に求めています。このフロネシスというのはアリストテレスが掲げたもので、日本では賢慮と訳されています。訳語としてこれが良いかどうかは別として、このフロネシスというのがこれからの経営のコンセプトになるというわけです。

卓越したリーダーにはフロネシスの資質がうかがえます。この論文では実際のリーダーの言動を紹介しました。洋の東西を問わず、優れた経営者の言動にはフロネシスが現れているからです。
日本人経営者では、御手洗富士夫氏と内藤晴夫氏を紹介しています。海外では3Mのウィリアム・マックナイト氏。指揮者のワレリー・ゲルギエフ氏。そしてデンマークの補聴器メーカーのラーズ・コリン氏が登場します。これからのリーダーに求められるフロネシスとは? 論文をお読みいただき、知っていただければと思います。(岩崎 卓也)
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2007/03/16

大前研一氏の「超ロジカル・シンキング」

2007年4月号、弁証法の特集には大前研一氏が「超ロジカル・シンキング」という論文を寄せられています。この論文の中で、大前氏は〈ロジカル・シンキングは悪ではない〉と言います。柔道や剣道でいうところの型のようなものだと。
基本である以上、ロジカル・シンキングは、体で覚えるくらいにしておかなければならないものなのです。頭の中で「AだからBになって、BだからそれゆえにCで・・・」などと三段論法を考えているのではなく、反射的にできなければダメなのです。
ロジカル・シンキングは基本なので身につける必要はあるが、それだけではイノベーションは生まれてこない。そのような主張がこの論文の素晴らしい点だと私は思います。

ではどのようにしてイノベーションは生まれてくるのか、といったことが論文では語られています。現在、イノベーションを生み出す方程式のようなものは存在しません。このようなことをすれば良いという風に言われている手法はありますが、このようにすれば生まれてくるというモデルはいまだかつてないのです。
そこで弁証法の出番となるわけですが、大前氏は以前から『質問する力』『ザ・プロフェッショナル』のなかで、正・反・合でいう反の重要性を訴えてきました。この論文ではさらに、合のプロセスに向かうべく論を展開しています。〈弁証法におけるご法度〉では、「べからず」について具体的に指摘しています。弁証法を実際に使う上で参考になるのではないでしょうか。

特筆すべきは、弁証法はもともと日本の製造現場に存在したものだということです。日本人は弁証法というものを意識はしていなかったが、実践してきたのです。例えばQCサークルがそれにあたります。
QCサークルの提案活動は、弁証法を体現させたものなのです。日本企業はQC運動のもと、複数の個人の智恵と努力を融合させ、試行錯誤を繰り返し続けてきました。その結果、日本は世界一の品質の達成、生産性の向上などを図ることができたのです。実のところ、弁証法は目新しいものではないのです。弁証法の効用を見直し、かつての活動を思い返してみることで、私たちは日本企業の忘れ物を見つけることができるかもしれませんね。〈岩崎 卓也〉
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2007/03/13

可塑性と弁証法

小誌4月号に登場するフランス哲学者、マラブー博士は「可塑性」という概念からヘーゲル哲学を読み解いている点に特徴があります。
私たちは粘土で作ったものを塑像(そぞう)と呼びます。これらは力を加えることで形は変化しますが何らかの形(フォルム)は維持されます。このようなものを「可塑性がある」といいます。

特集記事の『「弁証法」の可能性』でも触れていますが、マラブー博士は脳科学を哲学に持ち込んだ方です。「可塑性がある」ものとして脳をあげ、脳は過剰な抑圧に抵抗しながらも、しなやかさを兼ね備えている点を指摘しています。

ところで、可塑性はフランス語で「プラスティシテ(plasticité)」と言います。他方、「プラスチック(plastic)」と言ったときは、可塑性物質といった意味のほか、プラスチック爆弾を指すこともあります。
可塑性(plasticité)という言葉は、造形芸術(art plastique)などと、あらゆる形の消滅であるプラスチック爆弾(plastic)という対立、二義性を持っています。つまり、可塑性(plasticité)という言葉は、その複数の対立するものを結ぶ線や糸の上で対立の中央に思考を立てることを余儀なくさせる言葉なのです。

私が思うに、この可塑性はビジネスの現場で役に立つのではないでしょうか。あるアイデアが出てきたとき、私たちはアイデアを出した人の意見をそのまま出すのではなく、第三者の意見によって形を変えたものを生み出していきます。第三者の意見をアクセプトできなければ、アイデアは素材のままなのです。弁証法的な思考をすることで、対立し、矛盾する複数のアイデアに対して、形を消滅させるのではなく形を維持したまま新しいものを生み出すことができるのです。可塑性を備えた弁証法的な力は、形の作用と、形を爆発し破壊する可能性を一体化させます。

この力が脳において機能することで、新しい武器になりえると確信している。

マラブー氏が述べた言葉は実に印象深いものがありました。(岩崎 卓也)
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2007/03/10

フランス人哲学者 弁証法を語る

今月号の特集は「弁証法」ということもあり、哲学に関する難しいキーワードが出てきます。著者の一人からは、「現代思想」「ユリイカ」に近づいてきたのではないかと言われるほどでした。私としてはそこまで難しくはないと思っていますが、哲学用語は出てきます。

難解かもしれませんが、ぜひとも読んでいただきたいのが『「弁証法」の可能性』です。こちらはカトリーヌ・マラブー博士へのインタビュー記事です。彼女はヘーゲルを批判した哲学者がたくさんいる国、フランスの哲学者です。でありながら、彼女自身はヘーゲルに対して批判的なわけではありません。ヘーゲルの再発見をして、そこから弁証法の現代的な意義を訴えています。

インタビューの中で、日本人は弁証法的な国だとマラブー氏は言っています。なぜかというと、ヘーゲルが言うところの弁証法に基づくと、日本は矛盾をアクセプトしている国だということになります。矛盾というのは2項対立であるといえます。ところが、別の見方をすると2項対立でありながら、互いに反することが並存している。矛盾はいっぱいあるが、共生している国なのです。具体的に言えば、西欧的なものと東洋的なものを互いに拒否しあうのではなく、ちゃんと両方とも併存させているところがとてもユニークなわけです。これはとても珍しい国だと彼女は言います。

世界経済にはアングロ・サクソン型の経済モデルがあって、一方ではマルクス主義だった中国が資本主義化しているわけです。こういった新しい経済、新しい思想がいくつもある中で、日本は独自の道を選べば良いのではないですかといったことを哲学者なのに喝破しています。

マラブー氏は日本通でもあります。三島由紀夫を読んでおり、学生時代には貧乏旅行として日光などに行ったことがあるといいます。彼女には日本人の弟子が何名かいます。日本のことをについてとても詳しいのです。そういう意味では傍観者として、よく日本のことを見ている方だと私は感じました。

マラブー氏はインタビューの中で、可塑性について触れています。そこには彼女独自の思想があり、ビジネスの現場に役に立つアイデアがあります。可塑性については次回このブログで紹介いたします。(岩崎 卓也)

※DHBR 2007年4月号は本日発売です。
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2007/03/06

まずは疑ってみること

次号の特集、「弁証法」は雑誌や新聞の記事を鵜呑みにする方におすすめしたいです。
特集を組むうえでわかったことは、多くの人が弁証法について誤解している点があるということです。ヘーゲルの弁証法というと、ある命題(正)と矛盾する命題もしくはそれを否定する命題(反)を戦わせ、アウフヘーベンを起こすことでジンテーゼ(これらを本質的に統合した命題)を導き出す対話法として知られています。

ところが、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼを言い出したのは、実はヘーゲルではないのです。当時のドイツ哲学者であるフィヒテ、シュリングがカントの規定に対して述べたものだといわれています。彼らはヘーゲルが言った弁証法をモデル化し、「正・反・合」といったことを言い出したのです。事実、このことについてヘーゲルは反論しています。むしろ、ヘーゲルは矛盾の存在を認めることに、重きをおいていたと言われています。

実際に弁証法を実践するとなると難しい部分に突き当たります。弁証法を実行するということは、他人の言っていることを受け入れつつ、全く違うことを考え出すことなのです。これは個人の中で、自己完結する思考法とは少々異なるものなのです。
弁証法を実践するとしたら、大前氏も述べている通り、批判的読書が有効です。本の中に書いてあることを鵜呑みにするのではなくて、本に対して反を持つことが大切なのです。そのときに合には至らないかもしれませんが、その本に書いてある矛盾点を探すことが思考法の訓練につながっていくのです。

私たちは論理の罠にとらわれてしまうことがよくあります。論理のプロセスの中に自分が取り込まれ、書かれていることが正しいと信じ込んでしまうのです。常識を鵜呑みにするのは、たいへん危険なことです。
例えば、マイケル・ポーターの競争戦略論を疑わずに信じ込むとどうなるでしょうか。ポーターは市場における優位なポジションをとるためには「コストを下げる」「プロセスをよくする」、あるいは「ブランドを強化する」ということが必要であると言っています。そうすることによって競争優位になり、ライバルに勝てるというのが主張なのです。
ところが、この論をそのまま受け止めて、ポーターの言うプロセスや論法に縛られてしまうと、自由な発想を止めてしまうのです。これが論理の罠です。このような状態では新しい物事が生まれてきません。抜け出るためには、マイケル・ポーターの戦略論の論法とは違うものを探してくることが必要になってきます。今回の特集での問題提起は鵜呑みにしてしまうことへの危険性がひとつです。新聞記事やテレビの報道、そして雑誌記事、あるいは経営学者、コンサルタントなどの主張に対して、まずは疑ってみることが大切なのです。(岩崎 卓也)
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2007/03/02

ロジカルシンキングの限界

先月にお伝えしたとおり、次号(3月10日発売予定)は弁証法を特集します。前回のブログ記事では弁証法を取り上げた背景として、リニア思考に対する疑問に触れました。もう少し説明を加えるとするならば、この特集に取組もうとした理由には「ロジカルシンキングは本当に役に立つのだろうか」という疑問があったからということもひとつとしてあります。

ロジカルシンキングは帰納と演繹(えんえき)による推論の方法です。私たち出版の世界では、基本的に演繹で仮説を立てて、帰納的に証明をしていくことが日常的に行われています。私たちにとってロジカルシンキングは当然身につけなければならないもので、知っていて当たり前のことだと思っていました。ところが、世の中ではロジカルシンキングを学ぶことに対して意外と需要があったのです。

ただし、ロジカルシンキングだけでは自分と相手が全然違う考えを持っていたときに、「これは見解の違いですね」というひと言で終わらせてしまうことになりかねないのです。パラレルのままではいつまで経っても建設的なコンフリクトは生まれてきません。
概して日本では論と論とを戦わせて終わりとなってしまいがちです。どちらが偉いのか、あるいは経験則的にどちらが正しいのか、といったことで結論を出そうとします。しかし、弁証法ならば「反」となる考えを取り込んでいきます。従って、ロジカルシンキングとは違って「合」として新しいものを生み出していくことができるのです。

一年以上も前のことになりますが、野中郁次郎さん、紺野 登さんとディスカッションをしたことがあります。そのなかで、対話法である弁証法がもう一度見直されるべきだという話が出てきました。
このような話を私たちが行ったあと、東洋経済新報社から田坂広志さんの『使える弁証法』が発行されました。田坂さんは存じあげているので、田坂さんは弁証法だろうなあ、とそのときは驚きよりも納得したところもあったのです。その一方で、弁証法はひとつのムーブメントの兆しなのではないか、とひとりの編集者として感じたことも事実です。
今回の企画は一年前から構想としてあったものです。これからの時代の対話法として弁証法は役に立つと私は思っています。そこで皆様にご紹介したいと願った次第です。(岩崎 卓也)
posted by ダイヤモンド社 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(14) | 記事