2007/02/27

細部まで丁寧に作る

出版関係者にとって「重版」という言葉はうれしい響きがあります。「重版」という言葉を聞きなれない方もいらっしゃるでしょう。これは既刊の書物を、同じ版で増刷することを指します。重版が決まるということはそれだけ多くの読者に読んでいただいたということをあらわします。編集者としてはこの上なく喜ばしいことなのです。

ご報告が遅くなりましたが、おかげさまで小誌2月号は重版となりました。書籍では重版となるケースが多々ありますが、雑誌で重版というのは珍しいことだといえます。DHBRでも売り切れになった号は何度かあるのですが、月刊誌になってからの重版は初めてのことです。以前、DHBRが隔月誌だったときにEビジネスの特集を組んだことがありました。このときに重版をしています。実に6年ぶりのことです。

活字離れが起きていると言われて久しいですが、私はそうは思いません。ただ、活字アレルギーとまでは行かないまでも、本に対する読み方が変わってきていると私は感じています。現在、書籍の傾向としては軽くて、基礎の部分を手取り足取り教える本が支配的となっています。そのような状況のなかで、DHBRといったものを読んでくださる方がいるということに、私はホッとしました。

私は丁寧に作ったものは買ってくださった方に、私たちが手間ひまかけて作ったことが必ず伝わるものだと信じてきました。細部にまでこだわり、丁寧に作れば、必ず大ヒットするというものではありません。それでも、私たちは読んでくださる方に丁寧に作ったものを提供し続けて行きたいと思っています。相変わらず、ほとんど休みがない状態で仕事をしておりますが、そのようなことより2月号の重版の喜びのほうが私にとって大きなものがありました。(岩崎 卓也)
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2007/02/24

ICレコーダーを買った理由は……

最近、買ったものといえばICレコーダーがあります。編集者にとって、ICレコーダーなどの音声を録音する機械は商売道具のひとつといえます。ビジネス誌の取材などではその場の様子を相手のご許可をいただいた上で音声として残すことが多いのです。なかには、全く音声を録音せずにメモだけで原稿を作成する人もいるようですが、小誌の取材ではメモだけということはあまりありません。

今回買ったICレコーダーはソニー製品で、中でも集音力が高いとされているものです。USB対応でパソコンに取り込むこともできます。価格はおよそ3万円でした。市販されているICレコーダーは1万円台で買えるものが主流です。やや高いものを買ったのにはわけがあります。
通常、インタビューを受ける人が日本人の場合、ICレコーダーは話をする人の近くに置きます。ところが、インタビューの相手が外国語を話すときは状況が変わってくるのです。通訳の声だけが必要だというときは、通訳の近くにICレコーダーを置けば問題はありません。ところが、通訳とインタビューに答える方、両方の音声を録音したいときは問題が生じます。通訳の近くにICレコーダーを置くと外国語の音声はクリアではなくなり、あとで再生したとき聞き取りにくくなってしまうのです。

特に、相手が要人のときは取材する部屋が大きくなることが多いものです。これまで、通訳とインタビューを受ける人、両方の音声が欲しいときは、テーブルの真ん中にテープレコーダーを置き、さらにはテープレコーダーにマイクをつけて録音をしていました。しかし、部屋が大きいと通訳と話す人との距離があいてしまい、どうもきれいに音が拾えないのです。広い応接室で使ってもクリアに録音できるものを、ということで新しいICレコーダーを買ったわけです。

重さはテープレコーダーよりも軽く、形もコンパクトです。早速、使おうと取材に持っていきました。ところが、その日はほかのスタッフたちがICレコーダーを出したので、私は出さなくてもよいのだなと思い、使わずに終わってしまいました。性能を確かめるのが楽しみでもありますが、次回まで待つしかない状態であります。(岩崎 卓也)
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2007/02/20

次号予告

次号は弁証法について特集を組みます。弁証法とは哲学の用語で、対話・弁論の技術を意味するとされています。古代ギリシャ哲学やカントなど、それぞれ意味合いが異なりますが、一般的にはヘーゲルやマルクスの弁証法を指すことが多いです。
弁証法を取り上げた背景には、現代のリニア思考に対する問題提起がひとつとしてあります。時折、物事を考えるにあたり直線的で、線形思考を行っている方を目にします。受験数学のように最善解を求める姿勢は全く誤っているわけではないのですが、出てくる答えが必ずしも現実に合致するとは限りません。「AとBでは、どちらが儲かるか?」という問いに対して、「A」あるいは「B」とひとつだけ答えを求めるのではなく、「儲かるA」もあれば「儲かるB」もあると考えていくほうが現実に合っているのではないでしょうか。「つぶれる××屋」もあれば「つぶれない○○屋」もある。そのように考えていくことで、1+1から得られる答えは2ではなく、もっと大きなものになっていくと私は思います。

話は変わりますが、日本人はディベートが下手だといわれています。議論になったとき、どちらが勝つかが重要になり、相手を打ち負かさないと気がすまなくなるのです。しかし、本来ディベートはwin−winと言われています。職場で「朝までテレビ」をやっても解決にはならないのです。「朝までテレビ」は素晴らしい番組ですし、自分が誰の意見寄りかを考えながら見るのは楽しいものです。しかし、実際のビジネスでは赤組と白組に分かれ自分がどちらの組かを言っている場合ではないのです。これではいつまでたっても前に進みません。

ヘーゲルの(正確にはフィヒテなどがヘーゲルの言ったことをモデル化した)弁証法は、ある命題(正)に対するアンチテーゼ、あるいは反対の命題(反)、そして、それらを本質的に統合した命題(合)の3つにより成り立つものです。この思考法を実践することは、自分と異なった意見、価値観を自分の考えに取り込んでいくことなのです。反対を本質的に統合し、1+1よりもさらに大きなものへと発展させていく能力を身につけることが重要なのだと思います。
弁証法は古代ギリシャ哲学にも登場しています。私たちは歴史の浅いものに対してありがたがるのではなく、遠い昔からある人間の智にもう一度立ち返ってみることが大切なのではないでしょうか。(岩崎 卓也)
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2007/02/16

なぜアメリカのリーダーは失脚しても退職金が高いのか

3月号に掲載した「失脚から復活する法」は、読み物として面白さを持った論文です。一度、失脚してしまったリーダーが復活するにはどうしたら良いのかというお話しです。事例として、ジミー・カーター元アメリカ大統領、アップルのスティーブ・ジョブズなどが登場します。

ところで、アメリカではリーダーが何億円(数百万ドル)もの退職金をもらうことがよくあります。業績を悪くして追いやられることになった人でも、多額のお金をもらえることを不思議に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は、この退職金には口止め料が入っているのです。多額の退職金をもらうときには、「会社の名誉を傷つけない」という契約にサインをして、解任に関することを外部に話さないと約束するそうです。

ただし、論文ではこの口止め料をもらってはいけないと言っています。反撃をするにはこの口止め料が足かせとなり、自分の身の潔白を証明できなくなるというのです。インサイダー取引の容疑を否認し続けたマーサ・スチュワートは、口止めに関する契約に応じませんでした。彼女は自分の身の潔白を主張して支援者を増やし、信望者に支えられ英雄的地位を取り戻すことに成功しました。その過程をこの論文では詳細に紹介しています。

アパレルのギャップを大きく成長させたミッキー・ドレクスラーのケースも興味深いです。彼は既存店売上が2年間落ち続けた責任を負わされ、ギャップを去ることになりました。しかし、このとき彼はこの失敗は自分のせいではないと思い、それを証明しようと決意したのです。数百万ドルの退職金には非競争条項が含まれていたので突っぱねました。そして、自分の資産をアパレル小売りのジェイ・クルー株式を買収することにつぎ込んだのです。リーダーとして就任した彼はジェイ・クルーの業績を向上させ、リーダーとしての優れた資質を示すことに成功しました。

日本では新参者は出る杭として打たれ続けてきました。編集部ではこの論文を読んだとき、失脚した日本人リーダーはどういった形で反撃するのか、話に出ました。お金があれば、ミッキー・ドレクスラーのように株式を買収したり、あるいは起業したりもできるでしょう。実現にはさまざまな選択肢が存在するのです。いくつかの選択肢を含め、この論文では立ち直るための方法について、細かく解説しています。(岩崎 卓也)
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2007/02/14

自問と自省のすすめ

昇進していく人向けの論文としては、3月号の「自問と自省のすすめ」がオススメできます。
「企業のトップは孤独だ」
CEOの方がこのように言うのを良く耳にします。私はCEOになったことがないので実感としてはわかりませんが、感覚的にそうであろうということは想像がつきます。出世すればするほど、自分に厳しいことを言ってくれる人、自分のことを戒めてくれる存在は減っていくものです。

本来、諫言はセルフマネジメントあるいはコーポレートガバナンスのどちらかに問題を投げかけるものに分かれます。この論文ではセルフマネジメントに関することに焦点を当てて論じています。
戦後の歴史を振り返ると、名経営者の影には必ず厳しいお目付け役がいたものです。作家・城山三郎さんは東急の五島昇氏を題材にして小説を書いていますが、私は東急のげんこつ付きの金屏風の話を聞いたことがあります。殿とあがめられている五島昇氏ですが、経営者としてよろしくないことがあると、取締役が五島氏にげんこつを振り上げるそうです。もちろんこれはたとえで実際にげんこつで殴るわけではありません。要するに、後ろにある金屏風からはげんこつが出てくるので、五島氏は常に自省しなければならない状況にあったというわけです。まさしく現在はげんこつ付きの金屏風が減ってきています。社外取締役といった制度もありますが、制度だけでは解決できない部分があることも確かなのです。

このことに対して、自分でどう対処するのかということが一方にあります。「自問と自省のすすめ」では、ビジョンと優先課題、タイムマネジメント、フィードバック、現状認識と調整など、7つの分野において自らを振り返ってみることを奨励しています。自問をするための具体的な質問が用意されていますが、答えを出すことが必ずしも重要ではないのです。この質問をきっかけとして、時間を取って正しい質問を自分に投げかけて内省することが大切なのです。

いずれにしても、定期的に自省することはリーダーにとって、有益であることは間違いないことです。今回の特集「リーダーシップを問い直す時」が読者にとって、自問と自省のきっかけとなれば幸いです。(岩崎 卓也)
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2007/02/10

人間関係重視の誤解

マネジャーにとって、部下との関係作りが大切なことはいうまでもありません。しかしながら、2月10日発売の3月号に掲載した「新任マネジャーはなぜつまずいてしまうのか」を読むと、マネジャーが陥りやすい誤解を改めて知らされます。何がいけないのかというと、部下一人ひとりと良好な人間関係を築こうとがんばることがチーム全体に悪影響を及ぼしてしまう。そのようなケースの存在を忘れてしまうことがよろしくないわけです。

部下と1対1の濃い関係を築くと、マネジャーはそのつもりがないのにある意味でのえこひいきをしているとかんぐられてしまうことが時折あります。自分はどんなに平等に扱っているつもりでも、まわりがどう見ているのかは全く別のことなのでしょう。部分に力をいれることでかえって全体を壊してしまうことになるのです。

話は変わりますが、私は漫画を自宅で読むことが多いことをこのブログで書いたことがあります。私が以前読んだ作品『エースをねらえ!』には、マネジャーと部下との関係性での示唆があると私は思いました。
この漫画はテニスのスポーツ根性もので、登場人物にはヒロイン、メンター、ライバルなどが配置されています。漫画の世界ではヒロインと指導者であるコーチとの1体1の密な関係が成功に導く要因になっています。しかし私が思うに、マネジャーは主人公 岡ひろみとコーチ 宗方仁の関係を作ってはいけないのです。この岡と宗方のような1対1の濃い関係を作ってしまうと、ライバルの音羽京子は怒ってしまう。そして岡ひろみは苦しむわけです。私はこれが組織の現実なのではないかと思いました。ストーリーではライバルの音羽京子は悪役として登場していますが、現実社会で彼女の感情は自然なことなのです。

3月号の特集で掲載した「新任マネジャーはなぜつまずいてしまうのか」では、部下の監督とチームの運営は別物だと指摘しています。
部下とのコミュニケーションを深めようと盛んに言われていますが、もともとマネジャーの役割というのはその部門の業績の最大化なのです。売上などの目に見える数値だけでなく、やる気といったことを含むパフォーマンスを高くしていかなければならないのです。ヒロインとそれを支える監督、コーチという構造はこの論文を読むと、意外と難しい側面を抱えていのではないかと思います。人間ですから、相性、好き、嫌いはどこかにあるものです。そこに組織における人間関係の難しさを改めて感じさせられました。この論文に出てくる「マンツーマンの人間関係重視はやりすぎてはいけない」ということが意外と新鮮なアドバイスに感じた次第です。(岩崎 卓也)
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2007/02/07

管理者の権威は絶対的なものだという錯覚

内示がでる、昇進昇格の時期になりました。初めて管理職になる方もいれば、すでに管理職になっており更に職位が上がる方もいらっしゃることでしょう。次号 DHBR 2007年3月号の特集は「リーダーシップを問い直す時」です。小誌ではリーダーシップの特集として、初めて管理職になる方からすでに管理職になっている方まで、幅広く読んでいただける論文をそろえました。

ところで、読者の皆様がリーダーシップの論文に対して求めるものは何でしょうか。私は思うに、スキルや方法論を得ることだけが全てだとして論文に向き合ってしまうと、得られるものは少ないのではないかという気がしています。リーダーシップの論文を読む効用のひとつは気づくことにあるのです。

リーダーも人間です。どこか道を外れてわき見をすることもあれば、矛盾した行動を取ってしまうといったこともあるでしょう。ある程度自分でもまずいなと感じていたとしても、なかなかすぐに矯正できるものではありません。とくに、年齢と経験を重ねた方のなかには、他人に指摘されることを人一倍不愉快に感じる方もいます。とはいえ、自分のまずい点を正しく知ることは大切です。自らを知るためにも今回の特集はお役に立てるのではないでしょうか。

良くいわれることですが、「忙」という字は「心」を「亡くす」と書きます。本当の自分はどこかにあるのだけれど、忙しさのなかで失われてしまう。今回の特集はお忙しいと感じている方にもお読みいただきたいですね。論文を読んでいくうちに、自分の心が滅んで亡くなっていることに気づくという場面に当たるかもしれません。

なかでもおすすめしたいのは、「新任マネジャーはなぜつまずいてしまうのか」です。こちらの論文は管理職になる方、管理職で職位がさらに上がる方、ともに興味深く読んでいただけるのではないでしょうか。
私たちは自分の職位が上がると、ある種の錯覚を起こしてしまうことがあります。職務職能が変わり権限が増えていくことで、自分が新たな別の人間に変わってしまったと思うのです。典型的なのが、部下を支配しようとしてしまうことです。別の言い方をすると、権限によって服従させようとしてしまうのです。しかも、自分が錯覚を起こしていることに気づいていない。本人は管理職の権威は絶対的なものだと信じているのです。これではうまく行くはずがありません。この論文にもありましたが、自分が誤解していることを自覚することで成功のチャンスが飛躍的に広がっていくのです。読者の皆様においては、論文を読み具体的な事例とともに自分の錯覚に気づくこともあるでしょう。人に指摘されるのではなく、自分で気づくためにも、今回の特集は読んでおかねばならないといえます。(岩崎 卓也)
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2007/02/02

鳥インフルエンザは企業課題である(その2)

前回、お伝えしましたとおり、次号とその翌号の2回にわたって、「HBR Articles」では鳥インフルエンザに関する国際的な認識と取り組みについて紹介します。
日本では鳥インフルエンザに対して、厚生労働省が対策関連情報を出すなど、多少の対策を講じてはいます。しかし、どうも対岸の火事といった感じが拭えません。とくに、企業においては、全くと言っていいほど危機感が感じられないのです。そういう意味で、日本ではほかのリスクと同様、鳥インフルエンザのリスクに対しても認識が低いといえます。このようなことがDHBRで鳥インフルエンザを取り上げる背景にありました。

「鳥インフルエンザ対策はもはや待ったなし」という論稿ではWHOによる流行のフェーズについて触れています。脅威のフェーズは6段階に分かれているのですが、鳥インフルエンザは現在「3」になっているのです。「3」というのは、「今は大流行する予兆が表れている」という段階で、これがフェーズ6までいくと「ヒトからヒトへの感染が急速に広がり、この状態が続く」となるのです。「3」の今こそ、企業はリスク軽減計画を立てて、シミュレーションや実施訓練を重ねながら絶えず更新していくべきなのでしょう。フェーズ「4」になったら計画だけでは対応できないとこの論稿は警告しています。

世界の工場と言われている中国で流行した場合はどうなるのでしょうか。中国から工業製品などを多数輸入している日本が受けるダメージはかなり大きなものとなります。中国が機能不全になった場合、日本企業は需要に対応できない事態が発生しかねません。
「中国で鳥インフルエンザが流行すると」では、国際経済への影響について警鐘を鳴らしています。中国で鳥インフルエンザの感染媒体となるのは、貧困層の出稼ぎ労働者、農村部で養鶏などをしている若者たちです。普段、彼ら彼女らは都市部で働き、週末や収穫期には帰省するそうです。感染が広がると移動に制限がかかり、結果として都市部での労働力不足が起きる可能性が指摘されています。

ところで、最近、パンデミックリスク(pandemic risk)という言葉を耳にするようになりました。pandemicは「広地域流行の」とか「大流行の」といった意味があのます。ただ、大流行リスクと訳すと、何の流行なのかわかりませんし、良い流行にも取れるのでしょう。そのようなこともあり、WHOが使っているpandemic riskをそのままカタカナにして使っているようです。私たちはパンデミックリスクに対して、もっと敏感であるべきです。鳥インフルエンザが大流行する前に、ビジネスが破壊されないよう対策を講じなければならないのです。(岩崎 卓也)
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