今、私が最も注目しているニュースは鳥インフルエンザです。調べてみると、想像以上に恐ろしい事態を招く可能性があるのだということに気づかされました。2月10日発売予定の3月号「FROM the EDITORS」では鳥インフルエンザについて触れます。
先日、宮崎県の養鶏所でニワトリが高病原性鳥インフルエンザ(H5NT型ウィルス)に感染し、およそ750羽が死んだというニュースが報道されました。
WHO(世界保健機構)が1月15日に発表した報告によると、これまでこの高病原性鳥インフルエンザに感染した人は267人、そのうち死亡した人は161人と全体のおよそ60%を占めています。幸いにも日本人からはひとりも死亡例が報告されていませんが、インドネシア、ベトナム、中国といったアジア諸国が死亡者数の9割以上を占めているのです。
ところで、1918年、1919年、世界的に猛威をふるった「スペイン風邪」、このときの死亡者数は5000万人以上とも言われています。実は、この「スペイン風邪」は鳥インフルエンザ・ウイルスの突然変異で生まれた新型ウイルスによるものだといわれているのをご存知でしょうか。
当時は貿易もない時代です。21世紀のこの世の中で「スペイン風邪」が流行すると、グローバル化しているがゆえに、最悪のシナリオが予想されます。専門家の中には、全世界総人口の30%、死亡者は1億5000万人も出るのではないか、といっている人もいるのです。しかも、高病原性鳥インフルエンザ(H5NT型ウィルス)というのは、老人、子供より働き盛りの人のほうが死亡率は高いという説もあります。
しかしながら、私たちは鳥インフルエンザに対して、恐怖心を抱いているだけでは何もなりません。とくに、大切なのは企業として事前に対策を立ておくことです。企業は鳥インフルエンザが流行した場合でも、事業の継続性が脅かされることがないようにしておかねばならないのです。そのようなことで、小誌では「鳥インフルエンザは企業課題である」と題して3月号と4月号の「HBR Articles」で鳥インフルエンザに関するコラム、インタビューなどを掲載する予定でいます。(岩崎 卓也)
2007/01/31
2007/01/26
今読んでも新鮮な論文
2月号に掲載した「競争は戦略の目的ではない」という論稿は大前研一氏がHBR誌に寄稿したもので、未翻訳となっていたものです。この論稿で大前氏は、お客さんを満足させるために戦略を組まなければならない。優先させるべきものは「顧客ニーズ」だというのです。
「ライバルに勝つ」、「有利なポジションをとる」といったことを目標に戦略を組むのではない。お客さんにとってポジション取りなんてどうでもいいことだ。
大前氏は有利なポジションは考えなくてはならないが、それは戦略のスタート点ではないと言っています。論稿に登場する事例は花王のバブといった古いものですが、今読むとかえって新鮮に感じられます。
この古くに書かれた論文に私が新しさを感じたのは、普段の生活の中で、「顧客のことを考えていないなぁ」、という場面をよく目にするからなのでしょう。私は思うのですが、消費財の営業は土日も休まずに働くべきではないでしょうか。お客さんは土日に買い物をするのです。三時になると銀行がシャッターを下ろすように、休みの日になったら営業が仕事のことは知りません、というのでは困るのです。これは労働組合などの関係から、営業担当ご本人の意思では決められない問題ではあります。しかし、商品は土日に動いていることを忘れてはいけないのです。ここに私は顧客に対する配慮が不足しているように思えます。
話は変わりますが、最近、労働、賃金のあり方、残業代についての議論を耳にします。時間労働というものは、自分の仕事を他人ごとにしてしまうように見えるのです。自分で起業しようとする人は残業代のことは気にしないでしょう。ですから、自分と会社は時間軸で契約している、という考え方は違うような気がします。つまり、労働と資本を分けてしまっていることに対して、疑問を感じるのです。
確かに、会社員は経営全般の権限を与えられてはいません。が、自分の仕事については、オーナーシップを持ったほうがいいと私は思うのです。そのオーナーシップという前提に立ったら、時間という概念で仕事をしないほうが、お客さんがハッピーになるのではないかという気がしてなりません。労働、賃金のあり方について議論をするとき、雇用主と雇用者の間には、お客という視点がないのです。「競争は戦略の目的ではない」、この論稿の主張が当てはまるものは戦略を組む部門にいる人だけではありません。それは営業や人事など、いろいろな仕事をしている人に当てはまるのです。(岩崎 卓也)
「ライバルに勝つ」、「有利なポジションをとる」といったことを目標に戦略を組むのではない。お客さんにとってポジション取りなんてどうでもいいことだ。
大前氏は有利なポジションは考えなくてはならないが、それは戦略のスタート点ではないと言っています。論稿に登場する事例は花王のバブといった古いものですが、今読むとかえって新鮮に感じられます。
この古くに書かれた論文に私が新しさを感じたのは、普段の生活の中で、「顧客のことを考えていないなぁ」、という場面をよく目にするからなのでしょう。私は思うのですが、消費財の営業は土日も休まずに働くべきではないでしょうか。お客さんは土日に買い物をするのです。三時になると銀行がシャッターを下ろすように、休みの日になったら営業が仕事のことは知りません、というのでは困るのです。これは労働組合などの関係から、営業担当ご本人の意思では決められない問題ではあります。しかし、商品は土日に動いていることを忘れてはいけないのです。ここに私は顧客に対する配慮が不足しているように思えます。
話は変わりますが、最近、労働、賃金のあり方、残業代についての議論を耳にします。時間労働というものは、自分の仕事を他人ごとにしてしまうように見えるのです。自分で起業しようとする人は残業代のことは気にしないでしょう。ですから、自分と会社は時間軸で契約している、という考え方は違うような気がします。つまり、労働と資本を分けてしまっていることに対して、疑問を感じるのです。
確かに、会社員は経営全般の権限を与えられてはいません。が、自分の仕事については、オーナーシップを持ったほうがいいと私は思うのです。そのオーナーシップという前提に立ったら、時間という概念で仕事をしないほうが、お客さんがハッピーになるのではないかという気がしてなりません。労働、賃金のあり方について議論をするとき、雇用主と雇用者の間には、お客という視点がないのです。「競争は戦略の目的ではない」、この論稿の主張が当てはまるものは戦略を組む部門にいる人だけではありません。それは営業や人事など、いろいろな仕事をしている人に当てはまるのです。(岩崎 卓也)
2007/01/24
戦略が組織に従っていいのか
戦略論は大切なものであるにもかかわらず、実務家の中に浸透していないのではないかと思うときがあります。ネガティブな状況証拠を目にすると、ますますそのように思ってしまいます。戦略論を研究している人たちから言うと、戦略論は共通言語、知識のプラットフォームなのです。経営における順位の高い活動であるはずなのに、実際はそうでもない場面に直面します。
最近、内部統制という言葉を耳にしますが、会社によっては内部統制に戦略が従うケースがないとは言い切れないのです。しかし、これはおかしな話です。予算や会計制度、人事システムなど、これらのものは全て戦略に従うべきなのです。本来、組織は戦略に従うといわれていますが、戦略が組織に従うと天邪鬼なことを口にする人もいます。どちらが上、という問題ではありません。戦略が優先されるべきことなのです。
一方、企業内の制度は固定的になっていて、戦略について考える機会がなくなっています。今回の特集、「戦略論の原点」は、戦略を立てる人ばかりではなく、戦略について考える機会が少ないと認識していらっしゃる方にも参考になるのではないでしょうか。どの企業でも同じだと思いますが、経理は経理のことだけ、財務は財務のことだけ行っています。人事は人事のことしかやっていないのです。
もちろん、何にでも「戦略」をつければ良いというものではありません。戦略と戦術の混同は以前から指摘されていました。何をもって戦略と言うのか、あいまいな部分があるのも事実です。だからこそ、「戦略論の原点」を読むことが役に立つでしょう。戦略論の勉強をすることは、かなり生産的なことではないかと私は思っています。(岩崎 卓也)
最近、内部統制という言葉を耳にしますが、会社によっては内部統制に戦略が従うケースがないとは言い切れないのです。しかし、これはおかしな話です。予算や会計制度、人事システムなど、これらのものは全て戦略に従うべきなのです。本来、組織は戦略に従うといわれていますが、戦略が組織に従うと天邪鬼なことを口にする人もいます。どちらが上、という問題ではありません。戦略が優先されるべきことなのです。
一方、企業内の制度は固定的になっていて、戦略について考える機会がなくなっています。今回の特集、「戦略論の原点」は、戦略を立てる人ばかりではなく、戦略について考える機会が少ないと認識していらっしゃる方にも参考になるのではないでしょうか。どの企業でも同じだと思いますが、経理は経理のことだけ、財務は財務のことだけ行っています。人事は人事のことしかやっていないのです。
もちろん、何にでも「戦略」をつければ良いというものではありません。戦略と戦術の混同は以前から指摘されていました。何をもって戦略と言うのか、あいまいな部分があるのも事実です。だからこそ、「戦略論の原点」を読むことが役に立つでしょう。戦略論の勉強をすることは、かなり生産的なことではないかと私は思っています。(岩崎 卓也)
2007/01/19
ナンセンスな議論
先日、私は決定論と非決定論について述べました。非決定論という意味では、ミンツバーグは非決定論の戦略思想家だといえます。2月号にはミンツバーグの「戦略クラフティング」を掲載しました。こちらは結構有名な論文です。今回、新訳を施しました。
戦略というのは最初から形が整っているものではなくて、様々な試行錯誤の中で姿を変えていくものなのだ、とミンツバーグは言います。陶芸の粘土を練って行く作業になぞりながら彼は戦略を説明しています。戦略は時間の経過とともに、姿を変えていくものなのです。「意図された戦略」と「実現された戦略」には差異があります。この差異は例えば環境の変化、啓示的な直感、ひらめき、ビジョンなどが錯綜するなかで、創発が起こることで埋められていくといいます。
少なくとも戦略論はこの決定論と非決定論の2種類に大きく分けられるといってよいでしょう。ただし、これらは反目しあっているものではなく、相互補完的なものなのです。戦略論を読んでいる側は、それぞれが別物のように受け取ることがあります。しかし、これはナンセンスなことだと私は思うのです。
話は変わりますが、人間はどうして姿形が一人ひとり違っているのでしょうか。それぞれの人の能力や性格は遺伝子で決まるのか、それとも環境なのか、という議論が存在します。遺伝子といえば、ヒトゲノム、約32億塩基対のヒトの全DNAが解読されました。しかし、ヒトの正常な形態や行動がどのように構築されるかはわからないままです。また、突然変異と自然選択(自然淘汰)となるとネオ・ダーウィニズムを思い出しますが、この理論に対してはおかしいと指摘する声もあります。
他方、環境的要因に対しては、一昔前なら親のしつけや教育の結果として子供の能力が引き出されるとする考えが流行っていたかもしれませんが、今では必ずしもそうではないとする人が多くいます。
結局のところ、遺伝なのか環境なのかということのオルタナティブな議論をしてもナンセンスなのです。なぜ私が遺伝子の話をするのかといいますと、実は戦略論もまったく同じなのです。どのように戦略を立案するのかといったとき、決定論なのか非決定論なのかを議論すること自体、あまり意味がない。もちろんアカデミアにはこのような議論も意味があるのかもしれませんが、実務家にとってはあまり意味があるとはいえないのです。もちろん、両方の理論を学び、知っていることには、戦略を立てる上で意味がありますよ。両者の理論をそれぞれ読んで、相互補完的にとらえるのが良いのではないかと思っています。(岩崎 卓也)
戦略というのは最初から形が整っているものではなくて、様々な試行錯誤の中で姿を変えていくものなのだ、とミンツバーグは言います。陶芸の粘土を練って行く作業になぞりながら彼は戦略を説明しています。戦略は時間の経過とともに、姿を変えていくものなのです。「意図された戦略」と「実現された戦略」には差異があります。この差異は例えば環境の変化、啓示的な直感、ひらめき、ビジョンなどが錯綜するなかで、創発が起こることで埋められていくといいます。
少なくとも戦略論はこの決定論と非決定論の2種類に大きく分けられるといってよいでしょう。ただし、これらは反目しあっているものではなく、相互補完的なものなのです。戦略論を読んでいる側は、それぞれが別物のように受け取ることがあります。しかし、これはナンセンスなことだと私は思うのです。
話は変わりますが、人間はどうして姿形が一人ひとり違っているのでしょうか。それぞれの人の能力や性格は遺伝子で決まるのか、それとも環境なのか、という議論が存在します。遺伝子といえば、ヒトゲノム、約32億塩基対のヒトの全DNAが解読されました。しかし、ヒトの正常な形態や行動がどのように構築されるかはわからないままです。また、突然変異と自然選択(自然淘汰)となるとネオ・ダーウィニズムを思い出しますが、この理論に対してはおかしいと指摘する声もあります。
他方、環境的要因に対しては、一昔前なら親のしつけや教育の結果として子供の能力が引き出されるとする考えが流行っていたかもしれませんが、今では必ずしもそうではないとする人が多くいます。
結局のところ、遺伝なのか環境なのかということのオルタナティブな議論をしてもナンセンスなのです。なぜ私が遺伝子の話をするのかといいますと、実は戦略論もまったく同じなのです。どのように戦略を立案するのかといったとき、決定論なのか非決定論なのかを議論すること自体、あまり意味がない。もちろんアカデミアにはこのような議論も意味があるのかもしれませんが、実務家にとってはあまり意味があるとはいえないのです。もちろん、両方の理論を学び、知っていることには、戦略を立てる上で意味がありますよ。両者の理論をそれぞれ読んで、相互補完的にとらえるのが良いのではないかと思っています。(岩崎 卓也)
2007/01/17
マーケティングはバーチャル・ワールドで
2006年12月号に「アバター・マーティング」という論稿を掲載しました。唐突ですが、「セカンド・ライフ」というサイトをご存知でしょうか。こちらはアメリカで話題になっているバーチャル・ワールドで、サイト内には島もあれば街もある。住民となった人は散歩やショッピングをすることも可能ですし、他の住民との交流を楽しむこともできるというものです。
この「セカンド・ライフ」の特徴は、バーチャル空間内で商品やサービスの取引が盛んに行われているところ。住民が着る衣類をデザインして販売する、イベントを開催するといったことができるのです。ドミナス・モーターズが提供する車は住民5人乗り。最高時速約340kmでバーチャル・ワールドを疾走するそうです。
セカンド・ライフ内では「リンデン・ドル」という通貨を使います。こちらは本物の米ドルに換えることができるのです。ビジネスはリアルな世界と平行して、バーチャルな世界にも存在するようになりました。
このようなバーチャル空間の住民となって、もうひとつの人生を楽しむサイトは、セカンド・ライフのほかにもいくつかあります。我々はリアルな世界に対してだけでなく、バーチャルな世界に対しても同様に、マーケティングについて戦略を練る必要が出てきたのです。本論ではバーチャル・ワールドの事例を紹介し、仮想空間でのマーケティングについて語っています。
「セカンド・ライフ」は日本でもブレークする予感が私個人としてはあり、とても期待しています。しかし、岩崎は「リンデン・ドルを日本円に換えるには、現行では支障がある。米ドルに換えるとなると日本人にとっての魅力はどうなのだろう」と反応は冷静。確かに、マネーの問題もあるでしょう。それに加え、仮想空間内で発生した所得や土地などの資産に対する課税はどうなるのでしょうか。(課税したくなるほど儲けてから言え、というツッコミが聞こえそうです)。さらには、現在米ドルリンデン・ドルの交換レートは固定ですが、ずっと先の将来、変動相場になることも考えられます。為替差益のようなものが発生したときの扱いはどうなるのでしょう。などと、ひとりで妄想しまくっています。「バーチャル・ワールドって楽しい」と感じているのは私だけでしょうか。
この「セカンド・ライフ」の特徴は、バーチャル空間内で商品やサービスの取引が盛んに行われているところ。住民が着る衣類をデザインして販売する、イベントを開催するといったことができるのです。ドミナス・モーターズが提供する車は住民5人乗り。最高時速約340kmでバーチャル・ワールドを疾走するそうです。
セカンド・ライフ内では「リンデン・ドル」という通貨を使います。こちらは本物の米ドルに換えることができるのです。ビジネスはリアルな世界と平行して、バーチャルな世界にも存在するようになりました。
このようなバーチャル空間の住民となって、もうひとつの人生を楽しむサイトは、セカンド・ライフのほかにもいくつかあります。我々はリアルな世界に対してだけでなく、バーチャルな世界に対しても同様に、マーケティングについて戦略を練る必要が出てきたのです。本論ではバーチャル・ワールドの事例を紹介し、仮想空間でのマーケティングについて語っています。
「セカンド・ライフ」は日本でもブレークする予感が私個人としてはあり、とても期待しています。しかし、岩崎は「リンデン・ドルを日本円に換えるには、現行では支障がある。米ドルに換えるとなると日本人にとっての魅力はどうなのだろう」と反応は冷静。確かに、マネーの問題もあるでしょう。それに加え、仮想空間内で発生した所得や土地などの資産に対する課税はどうなるのでしょうか。(課税したくなるほど儲けてから言え、というツッコミが聞こえそうです)。さらには、現在米ドルリンデン・ドルの交換レートは固定ですが、ずっと先の将来、変動相場になることも考えられます。為替差益のようなものが発生したときの扱いはどうなるのでしょう。などと、ひとりで妄想しまくっています。「バーチャル・ワールドって楽しい」と感じているのは私だけでしょうか。
2007/01/12
決定論と非決定論
戦略論を大別すると「決定論」と「非決定論」に分けられるのではないでしょうか。ポーター、アンゾフ、ケネス・アンドルースといった人たちの戦略論は、決定論できっちりと作られているのです。特徴は将来を予測して計画的に作り上げ、管理するところにあるといえます。
一方、非決定論に分類されるものには、今月号に掲載した「コア・コンピタンス経営」(C・K・プラハラッド、ゲイリー・ハメル)があげられます。本論は94年の世界的なベストセラー『コア・コンピタンス経営』の下敷きになったものです。
ただし、この論文を理解するには、89年にHBR誌に発表した「ストラテジック・インテント」を理解しておくことが必要です。なぜなら、プラハラッドとハメルは、戦略はストラテジック・インテントを描くところから始まる、と言っているからです。
ストラテジック・インテントというのは、ひと言でいうと「こうなりたい」という志、目指すべき方向を意味します。「株主価値を最大限にする」というのはストラテジック・インテントではありませんが、「グローバル市場でナンバーワンになる」というのはストラテジック・インテントなのです。ストラテジック・インテントを達成するための条件は5つ。「個人あるいはチームへの権限委譲を促す」などがあります。詳細は本論の「Note」に記載しました。よろしければご参照ください。
本論でも触れていますが、ホンダは2輪から4輪市場に参入するに当たっては、2輪事業で実践してきたことを開花させることに他ならないと理解していたのです。高速回転、軽量エンジンなどを自動車事業においても実現することが必要だと考えていました。しかし、同じ乗り物といえども、2輪と4輪とでは構造も技術も全く別物です。実現するためには、何が足りないのか、どういったことをすればよいのか、常に考えていかねばなりませんでした。ホンダのこの事例はまさに非決定論だといえます。
プラハラッド、ハメルはコア・コンピタンス経営により、市場において一番有利なポジションを獲得できると言っています。行きつくところはポーターと同じですが、決定論か非決定論かという点で両者は大きく違うのです。(岩崎 卓也)
一方、非決定論に分類されるものには、今月号に掲載した「コア・コンピタンス経営」(C・K・プラハラッド、ゲイリー・ハメル)があげられます。本論は94年の世界的なベストセラー『コア・コンピタンス経営』の下敷きになったものです。
ただし、この論文を理解するには、89年にHBR誌に発表した「ストラテジック・インテント」を理解しておくことが必要です。なぜなら、プラハラッドとハメルは、戦略はストラテジック・インテントを描くところから始まる、と言っているからです。
ストラテジック・インテントというのは、ひと言でいうと「こうなりたい」という志、目指すべき方向を意味します。「株主価値を最大限にする」というのはストラテジック・インテントではありませんが、「グローバル市場でナンバーワンになる」というのはストラテジック・インテントなのです。ストラテジック・インテントを達成するための条件は5つ。「個人あるいはチームへの権限委譲を促す」などがあります。詳細は本論の「Note」に記載しました。よろしければご参照ください。
本論でも触れていますが、ホンダは2輪から4輪市場に参入するに当たっては、2輪事業で実践してきたことを開花させることに他ならないと理解していたのです。高速回転、軽量エンジンなどを自動車事業においても実現することが必要だと考えていました。しかし、同じ乗り物といえども、2輪と4輪とでは構造も技術も全く別物です。実現するためには、何が足りないのか、どういったことをすればよいのか、常に考えていかねばなりませんでした。ホンダのこの事例はまさに非決定論だといえます。
プラハラッド、ハメルはコア・コンピタンス経営により、市場において一番有利なポジションを獲得できると言っています。行きつくところはポーターと同じですが、決定論か非決定論かという点で両者は大きく違うのです。(岩崎 卓也)
2007/01/10
non-highwayの訳語は?
翻訳において直訳を当てると、執筆者が伝えようとしたことが正しく伝わらなくなってしまうことは良くあります。先日、“non-highway vehicle”という言葉を「高速道路を走らない車」と訳しているのを見かけました。確かに、直訳するとhighway は高速道路、vehicleは乗り物ですから、あながち間違っているとは言い切れません。しかし、“non-highway vehicle”には別の訳を当てたほうがさらに意味合いがぴったりと来るのです。何だと思いますか?
高速道路を走らない車だから、原動機付き自転車というわけではありません。実はこの“non-highway vehicle”、農機、建機などの働く車を指すのです。機械統計などを読むとき、「高速道路を走らない車」という訳を見つけたらご自身で「農機、建機」などに置き換えるとわかりやすいでしょう。
よく見かける直訳に capital expenditure→資本的支出というものがあります。こちらも別の訳を当てたほうが、ビジネスの論文を読む上で意味が通じやすくなることが多いのです。日本語で資本的支出というと幅が広く、大規模修繕のようなものまでを含みます。しかし、戦略論などの論文でcapital expenditureといったときには、設備投資を指すことがほとんどです。
revenueも同様。直訳すると歳入、総収入となりますが、売上と訳したほうが意味合いは正しく通ります。national economyは国家経済ではなく国民経済。このような例をあげると際限がありません。
先の話に戻りますが、翻訳されたビジネス文書に「資本的支出」という言葉を見かけたら、「設備投資」と読み替えたほうがしっくり来るに違いありません。お試しあれです。(岩崎 卓也)
※2007年2月号は本日発売しました。
高速道路を走らない車だから、原動機付き自転車というわけではありません。実はこの“non-highway vehicle”、農機、建機などの働く車を指すのです。機械統計などを読むとき、「高速道路を走らない車」という訳を見つけたらご自身で「農機、建機」などに置き換えるとわかりやすいでしょう。
よく見かける直訳に capital expenditure→資本的支出というものがあります。こちらも別の訳を当てたほうが、ビジネスの論文を読む上で意味が通じやすくなることが多いのです。日本語で資本的支出というと幅が広く、大規模修繕のようなものまでを含みます。しかし、戦略論などの論文でcapital expenditureといったときには、設備投資を指すことがほとんどです。
revenueも同様。直訳すると歳入、総収入となりますが、売上と訳したほうが意味合いは正しく通ります。national economyは国家経済ではなく国民経済。このような例をあげると際限がありません。
先の話に戻りますが、翻訳されたビジネス文書に「資本的支出」という言葉を見かけたら、「設備投資」と読み替えたほうがしっくり来るに違いありません。お試しあれです。(岩崎 卓也)
※2007年2月号は本日発売しました。
2007/01/05
日本企業には本当に戦略がないのか
次号のDHBRは創刊30周年記念、第2弾ということで戦略論に絞ってアーカイブを掲載します。ポーターやミンツバーグはなんとなく知っているけれど、詳しいことはわからない。そのような方にとって、相当役に立つのではないかと自負しております。
ところで、ポーターの言葉を引用して
「日本企業に戦略はなかった」
とおっしゃる方を目にすることがよくあります。このひと言からも、「戦略(strategy)」を語る場合、competitive strategyとcorporate strategyの使い分けをきちんとしている人はあまり多くないことがわかります。前者(competitive strategy)は競争戦略で、後者(corporate strategy)は企業戦略を指すのです。
日本企業には競争戦略(competitive strategy)がなかったというのは、私はウソだと思います。ポーターもそのようなことは言っていません。私が思うに、「日本企業には戦略がない」というのは、競争戦略はあったが企業戦略はなかった、と読むべきなのでしょう。
そもそも、ポーターが言うところのコスト・リーダーシップを握り、優位なポジションを取るというのは、まさしく日本の高度成長期のお家芸だったわけです。ですから、日本の企業に競争戦略がなかったというのは、おかしなことなのです。
ポーターの論文は合計すると1000ページ以上になります。決して少なくないページ数ですが、ビジネス・スクールに通ったことがある人ならば、読んだことがあるでしょう。しかしながら、イゴール・アンゾフなどのビジネス・スクールで教鞭をとっていない人が執筆した論文までをも読んだ方はそう多くはないはずです。多岐にわたりそれぞれに一長一短がある戦略論を今回の特集を読めば全てを即座に理解できるものではありませんが、かなりの部分は理解できるのではないかと思っています。また、「note(ノート)」として、編集部が作った解説文をそれぞれの論文につけました。読者の皆様にとって、かなり有用なのではないかと思っています。(岩崎 卓也)
ところで、ポーターの言葉を引用して
「日本企業に戦略はなかった」
とおっしゃる方を目にすることがよくあります。このひと言からも、「戦略(strategy)」を語る場合、competitive strategyとcorporate strategyの使い分けをきちんとしている人はあまり多くないことがわかります。前者(competitive strategy)は競争戦略で、後者(corporate strategy)は企業戦略を指すのです。
日本企業には競争戦略(competitive strategy)がなかったというのは、私はウソだと思います。ポーターもそのようなことは言っていません。私が思うに、「日本企業には戦略がない」というのは、競争戦略はあったが企業戦略はなかった、と読むべきなのでしょう。
そもそも、ポーターが言うところのコスト・リーダーシップを握り、優位なポジションを取るというのは、まさしく日本の高度成長期のお家芸だったわけです。ですから、日本の企業に競争戦略がなかったというのは、おかしなことなのです。
ポーターの論文は合計すると1000ページ以上になります。決して少なくないページ数ですが、ビジネス・スクールに通ったことがある人ならば、読んだことがあるでしょう。しかしながら、イゴール・アンゾフなどのビジネス・スクールで教鞭をとっていない人が執筆した論文までをも読んだ方はそう多くはないはずです。多岐にわたりそれぞれに一長一短がある戦略論を今回の特集を読めば全てを即座に理解できるものではありませんが、かなりの部分は理解できるのではないかと思っています。また、「note(ノート)」として、編集部が作った解説文をそれぞれの論文につけました。読者の皆様にとって、かなり有用なのではないかと思っています。(岩崎 卓也)
